2008-01-01から1年間の記事一覧

小春日和

11月26日、子供達と釜ヶ崎の人たちとの合同援農があった。毎年この時期の恒例になっていて、みんなで一斉にタマネギの苗を植え付ける。子供達が30名ほど、大人も保育園側から参加した人たちを含めて30名ほど。みんなこの日を楽しみにしている。この日の最年…

弁明と心許ない再出発

先日、金沢のマツシマ君から電話をもらった。ブログの更新がなくなってから一ヶ月にもなるのでどうしたのかと気遣ってくれてのことだった。12月6日、前回の更新からちょうど一ヶ月目の日だった。 プライヴェートな事柄で非常な難局にぶつかり、本当は9月頃か…

住まいの原型を探る(2)

以前、ある大学で設計を教えていたとき、恐い住宅を設計せよという課題を出したことがある。ホラー映画やオカルト映画が流行っていたからではない。家とは本来的に恐い空間であり、だからこの課題は、住宅というものの本質を考えさせようとして出したものだ…

住まいの原型を探る(1)

先週金曜日午後10時、ホンダさんと車で難波を出発した。和歌山から出発した学生たちと、11時半に大津サービス・エリアで合流することになっていた。だがかなり早く着いてしまった。車から降りると、肌を刺す寒さだった。 2台の車に分乗した学生たちは予…

侍女たちと執事(3)

くどいようだが、生来の怠惰癖に加わって、ここしばらく、いつになく深いメランコリーに侵され、ブログを更新する気力などまったく失せた状態にあった。調子に乗ってこんなブログなんか始めなければよかったと後悔することしきりであった。だが一昨日、鬱々…

侍女たちと執事(2)

缶切りは缶の中『サンセット大通り』が映画についての映画、破格の映画であるということを理解するためには、まずトートロジーという概念について理解しておく必要がある。だがトートロジーという言葉を辞書で引いても、同義反復、同語反復などといった説明…

侍女たちと執事(1)

前回のエントリーで予告したように、今日は映画『サンセット大通り』のラストシーンについて書く。とても一度では書ききれないテーマなので、2,3回に分けて書くつもりだ。くどいようだがもう一度Youtubeを貼り付けておく。前回も書いたように映画史に残る…

日曜日には鼠を殺せ

前回と今回のエントリーを併せて読むと、私がひどい嘘つきであると思う人もいるかもしれない。こういうのをユングいうところのシンクロニシティというのかも知れないが、私自身はあまりユングには信を措いていない。それにしても不思議なことが起きるものだ…

奇跡の水、収穫の秋

今日、フランスから絵葉書が届いた。昨年の3ヶ月間にわたるサンティアーゴ巡礼行で、私はピレネー北麓にあるオロロン・サント・マリーという街に立ち寄った。ある事情で結局私はこの街に12日間滞在することになったのだが、最初の1日を除いて、ピエール・…

事件

諸般の事情や生来の怠惰癖が出て、更新が随分と滞ってしまっていた。この間、少し疲れていた心を癒そうと、かなりの映画を観た(もちろんDVDで)。そんな話から徐々にペースを取り戻していこうと思う。 まず『アクロス・ザ・ユニヴァース』。 映画音楽に…

猫たちその3

大阪で私が親しく付き合っている人たちの中には、当然、大阪出身者ばかりではなく、いろんな地方出身の人たちもいる。ざっと思い浮かべただけでも、北海道から沖縄県に至るまで、ほぼ全都道府県を網羅しているといってもいいほどだ。みんな高校や大学を出て…

大阪の食べ物は本当に美味しいのだろうか

多少の規模があればどんな都市にもいわゆる専門店街というものはさまざまに形成されるものなのだろう。大阪でいえば、まず日本橋の電気屋街が思い浮かぶ。また中央区の船場は繊維問屋街、そして同じ船場の少し北側には道修町(どしょうまち)というところが…

こうして街はできてゆく(2)

先日も触れたように、大阪の市街は、南北に走る10本ほどの主要道路(筋と呼ばれている)と、それを東西に横切る同じような数の主要道路(通りと呼ばれている)によって形成されている。人によって印象は異なるのかもしれないが、大半の大阪市民は南北の軸…

こうして街はできてゆく(1)

ディープサウスからは外れるけれども、今日から2日間にわたって、大阪のある地区がこの35年ほどの間にどのような変貌を遂げてきたかということを述べてみようと思う。激変という言葉でも追いつかないほどの変貌ぶりで、それは、あるたった一つの建物が持…

恵美須町界隈

8月11日に取り上げた大国町のすぐ東側に位置する。恵美須町という名はこの街のシンボルたる今宮戎神社に由来するのだろう。東京に住む私の姪が、エビスという場所に住みたがっていると聞き、東京にも同じ地名の場所はあったのか、それにしてもさすが我が…

天下茶屋から南海電車に乗って難波に着いた

現在、大阪という都市は、首都たる東京という都市のもつ権力によってその特性を方向付けられ、強調され、そしてますます加速されているという傾向にある。私が大阪に生まれ、東京対大阪といった常に傾いた構図の中でずっと暮らしてきたから、しかもいまやそ…

大浪通り

ディープサウスとはもちろん俗称であるし、大阪人でさえこんな呼び方があるということを知る人は少ないだろう。したがってそれが地理的にどういう範囲を指すのか別にはっきりしている訳でもなく、何となく、地下鉄でいえば難波から天王寺間あたりをさすのだ…

カラオケとフェルメール

天王寺公園。 さまざまに複雑な思いが交錯する、私にとって取り上げるのがとても悩ましい場所だ。 大学生になって通学のため大阪市を縦断するような生活をし始めてから、何度かこの公園内を歩いてみる機会があった。大声でガマの油売りの口上を述べる者や、…

雲助街道を行く

30年ほど前、この道のことを雲助街道と呼ぶと友人に教えられた。教えてくれたのが少々虚言癖のある男だったので、本当かどうか疑わしかったが、まさにその言葉通りのイメージだったので、それ以降、私はこの道を必ず雲助街道と呼ぶことにしてきた。頻繁に…

果実たち

今日は運転免許証の更新の手続きをしてきた。いままでは堺市の光明池運転免許試験場に行っていたが、即日交付でなければどこの警察署でもいいというので、西成署を選んだ。なぜわざわざこの署に手続きに来たのかなどと尋ねられるかもしれないと思い、脳内で…

ミナミ逍遙

大阪で一番うまい光景。というのはちょっと言い過ぎかもしれないが、食欲がなくなって何も食べる気がしなくなると私はこの店に来る。カレーについては各自いろんな蘊蓄や好みはあるだろうが、私は文句なしにここ。という人はおそらく大阪中に無数にいるはず…

下寺町

先週の木曜日午後、金沢に向かった。ホテルにチェックインし、試験会場の下見をした後、市街を少し歩き回った。金沢は5年ぶりぐらいだったが、仰々しく荒んだ光景ばかり目の当たりにさせられる大阪とはまるで別種の都市だった。豊かでありながらもしっとり…

猫たちその2

22日の試験までいよいよ切羽詰まってきた。というほど大袈裟な気分ではない。だがやらなければならないという気持ちもないわけではない。だからといって受かる確率が限りなくゼロに近いということにもちろん変わりがある訳でもない。とはいえ競争率2.5倍…

花たち

ここ数日、先日の図書館に行って勉強するというような習慣が身についた。というよりも身につけようと努力しているといった方が正確だ。夜、あまり眠れないので、頭の芯にどうしようもない眠気のようなものが残っていて、しかも図書館の居心地がよく、すぐに…

崩壊現場

きのうの夜、古くからの友人にあった。ひとりで設計事務所を営んでいる。ほとんどの業務を府から発注される仕事に彼は頼っている。だが仕事の内容は、設計事務所とは名ばかりの、現場調査や現場監理といったものがほとんどだ。いまでは末端の多くの設計事務…

起爆地帯

大国町このブログを始めた日に取り上げた獅子舞台のある八坂神社は、このすぐ北側にあり、大国主命の父、スサノオを祭っている。今回の写真には入っていないが、当然、この近くに大国主神社があり、また少し東側には今宮戎神社や恵美須町という名の路面電車…

失われた暑さを求めて

電気トンボ 小学生から中学生の頃、私の日常の行動圏の中に、仁徳、応神に次いで三番目の大きさの履中陵があった。あの頃、宮内庁も現在のようには厳重な整備も行わず、堺市に散在する古墳群の多くはいわば放置状態のようになっていた。堀を囲む堤は住民たち…

ヘンリー・シルヴァの含み笑い

今日の午後、勉強をするために近くの図書館に歩いて出かけた。貸本屋さん(というのは今でもあるのかな)を大きくしただけのような、すごく庶民的でこぢんまりとした図書館だった。涼しくて静かで仄暗く、とても居心地がよさそうだった。けれど空いている席…

猫たち

今日は娘に面会に行ってきた。 いつも大体そうだが、眠ってばかりいた。ただでさえ顔や手足の作りがとても小さいので、いつまでたっても私には中学生ぐらいにしか見えない。岡山の病院の看護師や理学療法士も、みんな娘のことを年下の妹のようにちゃん付けで…

新世界への帰還

受験者は、欠席者もちらほらいたようだが、事前に担当の人から教えられていたように、優に100名は越えていた。私を除く最年長者は、どう勝手に都合よく判断しても、私の年齢の半分を少し超えたかどうかというような若者だった。直前まで必死に勉強してい…