大浪通り

ディープサウスとはもちろん俗称であるし、大阪人でさえこんな呼び方があるということを知る人は少ないだろう。したがってそれが地理的にどういう範囲を指すのか別にはっきりしている訳でもなく、何となく、地下鉄でいえば難波から天王寺間あたりをさすのだろうという暗黙の了解のうちに使用されているにちがいない言葉だ。そんなことをいえば、れっきとした市民権を得ているキタやミナミも、使用する人によって微妙に範囲が異なっていたりするのだろうし、ついでにいえば、難波と並んで吉本興業の二大拠点地であった梅田からグランド花月が移転することになったらしい京橋をヒガシと呼ぼうとする勢力もあるようだし、であれば西九条や弁天町あたりから、それならこちらはニシだという声があがってきそうだ。だがディープノースやディープイーストなどという言葉は聞いたことがないけれども、ディープサウスには、その固有の都市的実体というものが確かにあると感じる人は多いのだろうし、この言葉によって思い浮かべる領域は案外みんな共通しているのではないかと思う。
そして私自身は、ディープサウスはこの大浪通りから南に始まるといつの間にか漠然と考えていた。この言葉を使用している人たちから聞き取り調査でもすれば、同じような結果が出るのではないかと思う。いつか、頻繁に大阪と東京や名古屋を車で往復していた友人と話していて、同じような経験をよくしてた私が、大津トンネルを越えるとやっと地元に帰ってきたといつも感じるというと、彼もまったくそれに同意したことがある。こういうのを地理的、もしくは空間的暗黙知とでもいうのだろうか。




日本橋3丁目交差点(堺筋)。この先にも一方通行で道は繋がっていて、先日の寺町(松屋町筋)で途切れることになるのだが、正式なことは分らないが、大浪通りは何となくここが東端のように私には感じられる。今日の最後から二枚目とこの写真だけが東を向いて写されている。あとはすべて基本的には西向き。





南海電鉄(本線、高野線)の高架をくぐる。両側に膨大な商業施設が広がる。この撮影地点より左(南)側が、東京でいえば秋葉原に相当する電気屋街。というより最近は、秋葉原がそうであるように、電気関係だけでなく、いわゆるオタクといわれているような人たちを集めるような物品やサービスを提供する商売がぐんと目立ってきた。





大相撲春場所が行われる大阪府立体育会館。その時期の午後、この前一帯が、タクシーで横付けする有名力士を待つ人たちで溢れかえる。それ以外にも、普段は見かけないタイプの人たち(ジャージを着た中学生や高校生の集団や、明らかにバレーボールの選手と思われる異常に背の高い人たちとそれについてきた熱狂的な若い女性たちなど)が、頻繁に群れをなしている。こんなに有効活用されていて、しかも都市的活力というものにとっては実に得難い施設なのに、なぜハシモト氏が売却を検討しているのか、私にはまったく理解できない。何でもいいから数字の帳尻だけを合わせ、それによって誰もなし得なかった財政再建をやりとげた、ひたすらその評価を受けることにしか、あの男の興味はないのだろう。
この先が元町2丁目交差点(国道26号線)。手前にいる向こう向きの男性は、このすぐそばでトルコ料理店を営むとてもハンサムなトルコ人





稲荷交差点(なにわ筋)。大阪の市街は10本ほどの南北に走る道路(筋)と、それらを東西に横切る道路(通り)によって形成されている。夕陽が見える通りとしてはここより1キロほど北にある長堀通りが有名だが、この大浪通りでも夕陽を見ることができる。
というように、京都はもとより、奈良の中心街でもそうだが、そして都市自体が東西方向に形成されていて北は六甲連山、南は大阪湾という立地の神戸も、みんな東西南北の方向性が常に確実に把握出来るようになっている。地図の位置関係だけを頭の中に入れて東京のタクシーに乗り、そこを東へお願いしますなどといっても通じなかった経験が私には何度かあり、東京と関西の人間では空間把握の仕組みがまったく異なっているのだろうと思う。その違いは、きっと、さまざまに意外なところにも影響を及ぼしていることだろう。





立葉交差点(あみだ池筋)。見えている高架は阪神高速堺線。





名前のつけられていない交差点(新なにわ筋)。上は阪神高速堺線。そのすぐ向こうの地上の交差点内に南海電鉄汐見橋線。薄緑の歩道橋の向こう側の灰色の高架はJR環状線芦原橋と大正の中間)。その向こうに見えるのが木津川を跨ぐ大浪橋。





大浪橋。最近の橋とは違い、すべてリベットで接合されている。ノスタルジーだけではなく、リベットが装飾のようにきいていて、とても美しい橋だと私は思う。この下を流れる木津川は、7月23日の日記に取り上げた道頓堀川と、大阪ドームのそばでなんと十字交差している。もちろん自然にはあり得ないことだが、どれも淀川水系から引かれた運河であるからだ。





三軒家交差点(大正通り)。なぜか南北の道路なのにここでは大正通りとなっている。この少し北側の大正橋で、千日前通りに道なりに繋がっているからだろう。木津川を越えると大正区になっていて、一般的にはディープサウスとは呼びがたい範囲に入っている。だが私にとって、誰がなんと言おうとこの大浪通り以南はすべてディープサウスだ。私の好きなところが多すぎる。
いつか某沖縄の人が、沖縄のおでんにはレタスが入っていて栄養のバランスがとてもいいのだと郷土自慢をしたところ、某大阪の人が、おでんにレタスう?とそれに横槍を入れた。このあたりには沖縄出身の人が多く住んでいるので、いつかそれを私が実地に確認し、どちらが正しかったか判定しようと思う。





三軒家西3西交差点。大浪通りそのものはこの交差点を道なりに曲がって左(南)に続いているが、私にとってディープサウスの北端をなす境界としての大浪通りは、この先の防潮堤によって尻切れトンボのように終わる。よって防潮堤の向こうは尻無川。





この通りにはこのようなブルーの門がずらりと並んでいる。海抜ゼロメートル地帯が広がり、いざというときのために各民有地にも設置された防潮用の門。他の都市の事情は知らないが、大阪湾岸には、このような港湾局による興味深い施設がいっぱいある。





大阪名物尻無川水門。高潮や津波の際には、アーチが水平になって水を堰き止める。1969年、この工事が行われたとき、ケーソンが壊れて11名が殉職した。その鎮魂の碑と塔がそばに建てられている。




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Blood Sweat & Tears 「Spinning Wheel」