起爆地帯

大国町

このブログを始めた日に取り上げた獅子舞台のある八坂神社は、このすぐ北側にあり、大国主命の父、スサノオを祭っている。今回の写真には入っていないが、当然、この近くに大国主神社があり、また少し東側には今宮戎神社恵美須町という名の路面電車のターミナルもある。大阪でも随分古くからの由緒ある地域なのだろう。だが最近は相当に隠微な風俗の街としてもその筋にはよく知られているという。
あるいは、都市的宿痾ともいうべきものを負わされてきた地区が近辺にあるという名残も垣間見せ、靴や皮革を扱う業種も多い。いうまでもなくその地区自体がそのようなものに罹っていたのではない。そうしたイメージを、制度を、他律的に押しつけられてきたにすぎない。全国から引き合いがあるという太鼓製造に関しては、ごく少数だけれども、名誉ある地場産業としてますます誇らしげに営業を続けている。
ところが近年、この界隈のそのようなイメージが急激に変貌しつつある。老朽化、貧窮化というイメージが先行していた街並みが、みるみるうちに新陳代謝され、清潔な明るいイメージの街へと脱皮しつつある。この街一帯にどういう経済的事情の変化が生じているのかは分らないが、その変化自体を私は好ましいものと受け入れている。以前には考えられなかったような洒落たマンションなどが目に付くようになった。
大阪でコリアン・タウンといえば古くから鶴橋が有名であったが、この界隈も、あんなに集中したものではないが、韓国料理の店や食材店、韓国系の教会は以前からも相当に目立っていた。おそらく彼らの活発な経済活動がこの街の新陳代謝に一役買っているのだろう。
それだけではない。この地区だけに、あるいは大阪だけに限った話ではないのかもしれないが、気がつけばいつの間にかといった具合に、いろんな外国の人たちが目立つようになっていた。写真を撮るために大きな交差点で信号待ちをしている間にも、黒人や白人たちが何人も通過していった。外見上はほとんど見分けがつかないけれども、韓国の人たちはいわずもがな、中国の人たちもずいぶんといたことだろう。特にミナミで食堂なんかに入ると、最近は中国人の店員の多さに驚かされる。日本橋の大手電気店には、黒人の店員がいて、ナニカオサガシデショウカ、などと尋ねられたりする。



大国町交差点。左の派手な看板の出ているビルは、もともとは大阪でも最も大衆的で有名な靴店だった。どういう事情があって撤退してしまったのだろう。



こうした新築のマンション群はまずほとんどすべて賃貸物件。手前に韓国系の教会。



上と同じ通りを逆方向から。暑そうに歩く白人女性。



鰤と書かれたTシャツを着たブリブリとした白人男性。



いかにも夕涼みがてら近所の人たちが集まりそうな佇まい。



大阪中華学校。尊師重道。



賃貸専門の不動産屋がそこら中に。外国人お断りなどといったらその日に潰れてしまいそう。



南海電車高架下の木津市場。ミナミといえば黒門市場が有名で、東京のアメ横と同じように年末には必ず買い物客でにぎわう映像が風物詩のように取り上げられる。だがプロや本物の食通なら、仕入れや買い物はここに来る。ところが、午前中しか開いてなくて、誰よりも本物を自認しているはずなのに、まだ私はここで買い物をしたことがない。右手の空き地で超高層マンションの工事が始まろうとしている。



同市場内。



釜ヶ崎で炊き出しと援農の中心人物として日夜活躍している崔牧師夫妻に教えてもらった店。沖縄出身の人が中心になり、自然酵母を用いたパン焼きの工場や手織りの教室などもあり、カフェは障害者の人たちだけで運営されている。ビルのオーナーは韓国の人で、上階にも洒落た居心地のよさそうな場所があちこちにある。
ダウン症の男性(というより男の子)が、実に丁寧な手つきで珈琲を運んできてくれた。




あまりにオプティミスティックで無責任な見方かもしれないが、沈滞著しいといわれている大阪で、この界隈はいま、他の場所にはない特別な活力を見せ始めている。どういう大陸のどういう人たちが集まってきているのかは分らないが、静かな熱気が確かな渦を巻き始めている。
たとえば私たちがニューヨークに行くと、必ずチャイナ・タウンやリトル・イタリーというところにも行く。その目的は、まず本格的な中華料理やイタリア料理を食べるということにある。まだそこまで機は熟していないかもしれないが、いまこの界隈に集まってきている人たちが、それぞれの国の風俗や産物を持ち込み、それぞれの国の料理を出す店を開けば、それはミナミという食の街のもうひとつ南に、凄いインターナショナルな街ができることになる。その下地、それを受け入れる度量なら、日本のどこにも負けないものをこの街はすでにたっぷりと用意している。爆発が待ち遠しい。




今日のYouTube
Rahsaan Roland Kirk  「I Say A Little Prayer - Live 1969」
この祝祭的イメージこそ、大国町が発揮すべきものだ。