小春日和

11月26日、子供達と釜ヶ崎の人たちとの合同援農があった。毎年この時期の恒例になっていて、みんなで一斉にタマネギの苗を植え付ける。子供達が30名ほど、大人も保育園側から参加した人たちを含めて30名ほど。みんなこの日を楽しみにしている。この日の最年少は、農園主のお孫さんの女の子、3歳。最高齢はおそらく70歳を越えていただろう。見事な逆山型の年齢構成だ。このしばらく前から冷え込みが強くなっていたので、少し厚着をしていったが、上着を脱ぐほどの陽気だった。
土壌の栄養の関係からなのだろう、植え付けられる作物は年毎に畑が変えられていることが多い。今年のタマネギは去年とは別の場所に植えられた。援農に参加してみて初めて知って驚いたのは、畑と田んぼも随時入れ替えられることもあるということ。去年は稲が植えられていた田んぼに、今年はキャベツやブロッコリが栽培されていたりする。知らないことが多すぎ、それにしても毎日毎日根を詰め、体を酷使してやらなければならないことが多すぎる。農業従事者と一般のサラリーマンとでは、おそらく精神の仕組みがどこか根本的に異なってしまっているに違いない。


釜ヶ崎から出発した組と保育園から出発したバスが、いつもここで落合うことになっている。驚くほど豊かな作物が驚くほど安いので、メカタさんたちはいつもここでついいろんな買い物をしてしまう。





直径が10センチ近くある。





子供達の乗ったバスが到着。早速みんなトイレに駆け込んでいる。





約12センチピッチで穴が開けられ、そこに苗を植え込んでいく。私が計算したところでは、この畑で10万個ほどのタマネギができるはずだ。だがスーパーなどで売り物になる大きさや形の整ったものは、おそらくその半分もない。





一番手前がご存じ、バンちゃん。保育園からボランティアとして参加した若い女性が手編みの帽子を被っていたので、オレにも編んでくれやとしきりにねだっていた。梅干し援農の時は胸にドクロのバッジが輝いていたが、今回は腰にドラエモンがぶら下がっていた。いつもダンディな黒装束は変わらない。





昼ご飯は地元の教会の婦人たちがカレーライスを作ってくれる。いつ食べてもここのカレーはうまいなぁとつぶやく声が聞こえる。サラダのみずみずしさも凄い。食事の前に保母さんのリードで全員で子供用の賛美歌を歌う。





すぐに苗がなくなってしまい、新しい分が届くまでみんな待ち遠しい。これでオレは8束目やなどと子供達は我がちに届いた苗を取り合う。
ぽかぽかとした日射し、向こうは紀ノ川の土手、対岸に野焼きの煙。釜ヶ崎の人たちにとってはひときわ厳しくなりそうな今年の越冬前の、つかの間のほのぼのとした時間。だがやがて訪れるその極寒の時が、今日植えられた作物を育む。季節に隠された非情を思わずにはいられない。





ほぼ収穫が終わったあとに取り残されていたかのような柿の木。





収穫の時を待つハッサク。酸味が苦手な私が唯一好きな柑橘類。この後、5個百円くらいで路傍の無人販売所に並ぶ。





10月始めに植えたニンニクとレタスがこんなに育った。





広がった葉っぱの真ん中でレタスが球になりかけている。





手前はチェ牧師がやはり韓国から運んできた種が実ったサンチュ。サニーレタスという野菜は確かこのサンチュとレタスを掛け合わせたもの。





ドバト(確か)が、田んぼの落ち穂に集まっていた。




今日のYoutube
Santana    「Going Home」