日曜日には鼠を殺せ

前回と今回のエントリーを併せて読むと、私がひどい嘘つきであると思う人もいるかもしれない。こういうのをユングいうところのシンクロニシティというのかも知れないが、私自身はあまりユングには信を措いていない。それにしても不思議なことが起きるものだ。

実は一昨日のエントリーは映画音楽について書くつもりだった。リドリー・スコットの『グラディエイター』で少しおや?と思い、『ブラック・ホーク・ダウン』でかなり確信を得たような気になっていた。現在、アメリカの映画界で、かつてディミトリ・ティオムキンエルマー・バーンスタインジェリー・ゴールドスミスジョン・ウィリアムズといった人たちが占めていた位置にいるハンス・ズィマーの、その音楽的特性について述べ、映像だけでなく映画音楽自体も知らない間にどれだけ大きな変化を遂げていたか、したり顔で私は説こうと思っていた。そのために主にYoutubeでズィマーの音楽をかなり聴いてみた。一昨日のYoutubeのところでも述べたように、『ブラック・ホーク・ダウン』ではケルティックな印象がかなり強かったので、エスニックな曲調を多用する作曲家なのだろうというような先入観をもって確認してみようとした。だがその先入観は間違っていたことがすぐに分った。意外とオーソドックスな曲調のものが多かった。『グラディエイター』や『ブラック・ホーク・ダウン』のケルト風味はむしろリドリー・スコットの趣味が優先されたのだろう。だが、ズィマーはよほどの場合を除いてブラスの使用を徹底的に避けているという私の予想はそれほど大きく外れてはいなかった。それが彼の、というより今日の映画音楽の大きな特徴の一つなのだろうということが分った。
それに対して、50年代や60年代の映画音楽を思い浮かべると、私の心象の中ではまずブラスの強烈な音色が際立っている。特にヒチコックの映画の多くなど、画面から飛び出そうとさえしているかのような金属質の音色が鳴り響いていたという印象が強く残っている。その代表的なものが、タイトル・バックのデザインをソウル・バスが手がけたことで有名な『北北西に進路を取れ』(※1 音楽はバーナード・ハーマン)でかかっていた音楽や、これはヒチコックではないけれど、ビリー・ワイルダーの最高傑作『サンセット大通り』のタイトル・バックの音楽(フランツ・ワックスマン)などだった。ところが前者はYoutubeですぐに見つかったけれど、後者は、他の有名なシーンはいくつもあったけれど、タイトル・バック・シーンは見つからなかった。(吹替版に愛の手をさま、このあたり、補遺や訂正があればよろしくお願いします。)
そこで日本橋にあるヴィデオとDVDの専門店に出かけた。驚くべきマニアックな品揃えを誇る店である。『サンセット大通り』は難なく見つかった。ところがついでに思わぬ拾いものを見つけた。
いつも私のブログの最後に、Youtubeから今日はどんなものを貼り付けようかと考えるのが楽しみになっていて、暇な時にコレクションをしているのだが、一度探そうとして見つからなかった映画のDVDが棚に並んでいた。高校生の頃、そのテーマ音楽がラジオでたまにかかっていて、簡潔で美しいメロディが強く印象に残っていた。だがその映画を観た訳でもなく、美しいメロディと変わったタイトル以外について私は何も知らなかった。
『日曜日には鼠を殺せ』。なんと監督がフレッド・ジンネマン、出演がグレゴリー・ペックアンソニー・クインオマー・シャリフ。そして音楽がモーリス・ジャール(道理で!)。こんな宝の山が目の前に聳え立っていた(※2)。それを買った当日は急遽趣旨を変えたエントリーを書くのに手間取り、実際に観たのは昨日の深夜だった。前日のそのピレネー越えについてのエントリーで、私は何度か奇跡という言葉を用いていた。奇跡はまだ続いていたのだった。
映画は、1939年、スペイン内乱が終わり、フランスに亡命しようとする人たちが列をなすピレネー山上の国境検問所のシーンから始まっていた。その中に、政府軍に対して果敢に闘った英雄、マヌエル・アルティゲス(グレゴリー・ペック)も含まれていた。
すぐにシーンは切り変わり、その20年後、パコという少年が、同じ雪のピレネーを越える。政府軍からマヌエルの居場所を聞かれても黙秘し通し、結局拷問死させられたマヌエルの同士だった男の息子。
それについて書いたばかりだったピレネーが舞台であったというだけで、もう私にはその偶然が信じられない思いだった。ところが少年の目的地、つまりマヌエルが隠れ住んでいるのがピレネー北麓のフランスの都市、ポーであった。昨年、私がそこから再び歩き始めたポー、しかも円をユーロに換えるために何日か後にも再訪したポー。スペインの山間の村で、ほんのつかの間の出会いだったけれど強い印象を残した男の出身地であったポー。
途中の山村で、パコはある男の家に立ち寄る。その村にもまた驚愕が用意されていた。昨年、イザンベール氏が自動車でピレネー山間の村を案内してくれたときに見かけたとそっくりの、極めて特徴的な教会が映っていた(※3)。残念ながらポーへの道程はほんの少ししか描かれていなかったが、背景の山容といい、道の様子といい、まさに私が辿ったルートそのものであった。
ポーの街も、この映画の数十年後に私が体験した急傾斜の都市そのままだった。オロロン・サント・マリーから電車で着いたポーの駅、その駅舎も私の見たものと寸分違わず同じものだった(※4)。
ただマヌエルやパコの出身地として描かれていたサンマルティンというスペイン側の都市は、おそらく架空のものなのだろう。調べてみたけれど、あの近辺にはあんなに大きく、そんな名の都市はなかった。実際、映画の中でサンマルティン駅として現れた駅の建物も、看板だけが掛け替えられたポーの駅舎そのものであった(※5)。職業柄、ついそういうことには目ざとくなってしまう。おそらく実際には存在しないサンマルティンの市街地のシーンも、すべてポーで撮影されたものなのだろう。
映画では、若い修道僧を演じていたオマー・シャリフの役回りが、一つの大きな鍵になっていた。サンマルティンの修道僧たちと念願のルルドに巡礼に行こうという夢が叶った直後から、彼はこのストーリーに巻き込まれることになる。結局、登場人物たちは、サンマルティン、ポー、ルルドを行き来することになる。ストレッチャーに乗せられた病人が大勢列をなしているというルルドの光景も、私が昨年見たものと何ら変わるところはなかった(※6)。
残念ながら叶わなかったが、ポーとサンマルティンの中間に位置するであろうオロロン・サント・マリーの見慣れた風景が出てこないかと、どれだけ私は目を凝らしたか。
どこまでも理路整然とストーリーを積み上げていくジンネマンのいつもの作風に変わりはなかったが、映画の出来そのものとしては、『ジャッカルの日』や『ジュリア』など、間断するところのない緊張感溢れたものに較べると、やはり少し見劣りがするものであったといわざるを得ない。
映画の原題は『Behold the pale horse』(「蒼ざめた馬を見よ」というヨハネの黙示録の中の有名な言葉)。といってももちろん原作はロープシン(ボリス・サヴィンコフの別名)のものとは別物だ。この風変わりな邦題はエメリック・プレスバーガーというハンガリー生まれの作家の『Killing a Mouse on Sunday(日曜日に鼠を殺すということ)』から取られた。この言葉も黙示録に由来する。

ここでちょっとした豆知識。『ジャッカルの日』で、ジャッカルを追い詰めるルヴェル警視役を演じたミシェル・ロンスデールという俳優がラストシーンで20秒ほど顔を見せていた(※7)。ルヴェル警視が凄腕の切れ者であるにもかかわらず、外見上は小太りのいかにも風采の上がらない人物として描かれていたことは、フレデリック・フォーサイスの原作を読んだ人ならば必ず印象に残っているはずだ。しかもあの映画を観た人は、よくもこんな想像通りの俳優を探し出してきたものだとさらに驚いたことだろう。それがロンスデールであった。因みに、ジャッカルを演じたエドワード・フォックスの弟、ジェームズ・フォックス(双子なのかと思うくらいよく似ている)と、ミシェル・ロンスデールは、ジェームズ・アイヴォリーの名作『日の名残り』で、共に脇役として共演している。




※1

北北西に進路を取れ』。ソウル・バスのデザインが、いかにもこの時代のモダニズムというものをよく表している。




※2

『日曜日には鼠を殺せ』




※3






イザンベール氏と訪れたピレネー北麓の山村で見かけた教会。上の教会とそっくりだ。でも細部が少し異なっているので別の教会かもしれない。あるいはその後改装されたのかもしれない。いずれにしても他では見かけたことのないようなファサードの教会だった。




※4

私が見たポー駅と何も変わらない。





昨年のポーの市街地。残念ながらポーではあまり写真は撮らなかった。だが映画では明らかに見覚えのある場所がいくつも現れた。




※5

ポー駅と同じ駅舎であることがよく分るだろう。




※6






昨年私が撮った写真。





背後で修道僧たちがペロタという球技に興じている。





ベドウスという村で私が撮った写真。昨年は不確かな記憶しかなかったが、バスクの修道僧に人気のある球技用のコートだろうと考えたのは間違いではなかった。




※7

ミシェル(ミハエル――Michael――と表記されていることもある。)・ロンスデール




今日のYoutube

サンセット大通り』の痛切なラスト・シーン。次のエントリーでこのシーンのことを取り上げる予定をしている。映画史上に残る大傑作なので未見の方はぜひご覧になって下さい。DVDが一枚500円で手に入ります。