果実たち

今日は運転免許証の更新の手続きをしてきた。いままでは堺市光明池運転免許試験場に行っていたが、即日交付でなければどこの警察署でもいいというので、西成署を選んだ。なぜわざわざこの署に手続きに来たのかなどと尋ねられるかもしれないと思い、脳内で勝手に想定問答集を作成しながら自転車で向かった。にやにやする顔を人に見られたかもしれない。
防弾防刃チョッキを着て警棒を持った警官が二人、門のところで直立したまま睨みをきかせていた。6月の暴動以来、門の前を通る度に目にはしていたが、その前を横切るのは初めてだった。この署では、ずっとこういう警備体制だったのか、あれ以来の当面だけのものなのかは分らない。自転車はどこに駐めればいいのかと尋ねると、丁寧に指示してくれた。中に入ろうとすると、どういう用件かと尋ねられた。免許証の更新だというと、また丁寧にその場所を教えてくれた。更新手続き担当の警官も、対応は実に丁寧だった。想定した問答集は何の役にも立たなかった。
実は去年、サンティアーゴ巡礼に行っている間、前の私のスタッフだった者に車のキーを預け、週に一度くらいは乗っておいて欲しいと頼んでおいた。12月初め、まだサンティアーゴに滞在しているとき、いまどこにいるのかと彼から電話がかかってきた(ヨーロッパでもそのまま使用できる携帯を持って行っていた)。なぜそんなことを訊くのかと尋ねると、私の車が駐車場になかったので、もう帰ってきているのかと思ったからだと彼は答えた。すぐに盗難の手続きをするよう頼んだ。車上荒らしの現場を目撃したことがあるほど治安のよくないところだが、まさか自分の車が盗難に遭うとは思ってもみなかった。だがそれから4,5日して再び彼から電話があり、犯人が捕まり、車も無事だったという報告を受けた。
帰国してすぐ、いろいろ調書(でいいのかな)を取る必要もあるので、できれば署に出向いて欲しいとある刑事から私に連絡があった。大いに興味もあったので、喜んで出かけた。担当の刑事たちは、本来は休憩室か宿直室にでも使われていたような粗末な四畳半の和室に何台も机を並べて仕事をしていた。煙草の煙がもうもうとしていた。刑事は、人なつっこそうな笑顔と大きな声で私を迎えた。その惨めな執務環境に同情する間もなく、今度は下っ端の刑事が、「コーヒーでよろしいですか」と私に尋ねた。こちらは別にそこまで彼らに期待していた訳でもないのに、私の車が盗まれたことがまるですべて自分たちの責任であったかのように、被害者の私に対しては万事このような調子であった。だが、ひとたび犯罪者と彼らが特定した者に対しては、というより単に想定しただけの者に対しても、あの人なつっこそうな笑顔や丁寧な話し言葉が一変するのだろうということは、そんな経験が初めての私でも容易に想像できた。
更新の手続きを終えたあと、西成署のすぐそばにあるいこい食堂を覗いてみた。毎日ここにやってきて炊き出しの料理をしている女性牧師のメカタさんがいた。ちょうどいま彼女と喫茶店に行こうとしていたところだからぜひご一緒にと、そばにいる若い女性を指さしながら誘われた。同志社の神学部3年生で、ボランティアで手伝いに来ているという。
できたばかりだといって、一枚のチラシをもらった。6月の暴動で逮捕された人たちの救援活動の現況報告だった。てっきり西成署の上の方の階に稲垣さんたちは拘留されているのだとばかり私は思っていた。いまは都島区拘置所にいるという。逮捕された13名のうちの6名が、すでに全員、執行猶予の有罪判決を受けていた。残った7名のうちの4名の近況が綴られていた。H少年のメッセージが印象的だった。自分ととても親しかったおじさんがひどい暴行を受けているのを見て、つい抑えきれずに警官たちに向かっていったのだという。
「今回の裁判、僕は100%で少年院に行きます。期間はだいたい1年から2年だと思います。今回の西成署の『暴動』は僕は人のためになったことは、たいへんよかったですし、なにもくいはありません」。
稲垣さんは、7月9日に起訴されてからまだ1度も裁判が行われていないことについての不満を伝えていた。チラシには9月2日に行われることが決まったと記されていた。
メカタさんが、西成署の外周に取り付けられた監視カメラの1台はいこい食堂にも向けられているんですよ、と嬉しそうに笑いながら教えてくれた。
帰り道、バンちゃんに頼んで、カメラに向かって帽子の角度を調整する格好をしてもらったら面白いと思った。





果実たち

クルミ
これを撮影したのはまだ9月だったが、11月末には、中身のクルミがいたるところに落ちていた。





名前は分らない。日本では見たこともないような漆黒の植物がほかにもあった。





スペインではバナナはこんな木になっている(ウソ)。厚みは5ミリほど。薄っぺらい種が入っていた。風に揺れてからからと音を立てていた。





柿のように見えるが、そうだとも言い切れない。でも柿は確かに売っていて、食べると日本の柿と何も変わるところはなかった。





オリーブの大木。現地ではさんざんオリーブの実を食べた。もともと好きであったが、もっと好きになった。





アーモンド。これが熟すと緑の果皮が茶色になって自然に割れ、その中からいびつな貝殻のような形をした殻が現れる。その殻を割ると、あのアーモンドが出てくる。梅の実と同じような構造。無茶苦茶おいしかった。巡礼者はみんな大好きなようで、この木の下には殻を載せる台と割る石がセットになって何組も転がっていた。





たぶんアザミの実。フランスからスペインにかけて路傍にずっと生えていた。開花時期はさぞかし華やかなことだろう。





もちろんこんなものばかりというわけではなかったが、先日のマティスの裸婦像が刈り込まれた葡萄畑といい、この畑といい、ワインというものがヨーロッパの人たちの生活の中にどれだけ深く関与しているかということを痛感させられる毎日であった。自分の体はワインでできているなどとうそぶいている女優がいたが、そんなことをいうのなら、彼女はこの辺りで5〜600年ほど葡萄栽培とワイン製造の経験を積んでからいった方がいい。




葡萄を除けば、スペインで最も接する機会が多かった果物は意外なことにリンゴだった。つららになって流れ込む水面に、自然落果していたリンゴ。





そばを通るだけでイチジク特有の甘い香りが濃厚に漂っていた。もう一度味わうことができるのなら、1個千円出しても惜しくないくらいのおいしさだった。




今日のYouTube
The Eagles   「Hotel California」

曲自体も素晴らしいが、日本のポップスなどには期待すべくもないことが唱われていて、詩の方もなかなかのものだと思う。