大阪の食べ物は本当に美味しいのだろうか

多少の規模があればどんな都市にもいわゆる専門店街というものはさまざまに形成されるものなのだろう。大阪でいえば、まず日本橋電気屋街が思い浮かぶ。また中央区船場は繊維問屋街、そして同じ船場の少し北側には道修町(どしょうまち)というところがあり、江戸時代から薬問屋が集まり、今も有名製薬会社がずらりとオフィスを連ねている。松屋町筋は玩具や人形の専門店街、すでに述べた通り立花通り商店街はかつて家具の街であった。
大阪の街で生活していると、たまに他の都市に行ったとき、飲食店の少なさに驚き、探すのに手間取ったというような経験をしたことが何度もある。逆に他の地方から大阪に来て、あまりの飲食店の多さに魂消るような思いをする人も少なくないだろう。特にミナミ界隈は、もしかすれば世界一ではないかと思うほど飲食店の密度が濃い地区だ。
なぜそうなのか、なぜそうあり続けていられるのか、大阪にずっと住んでいながらいまだにその理由が私には分らない。食い道楽の街とはいわれているけれど、基本的にはそれは食べ物の美味しさや珍しさなどを求める趣味や習慣を指す言葉のはずで、特に店舗の多さを指し示す言葉でもないような気がするけれど、とはいえ多種多様な食を求めるということではあるのだから、必然的に店舗の数も多くなるということなのだろうか。
それにしても多すぎるにもほどがある。10軒の店舗が並んでいる場所があるとすれば、そのうちの12軒が飲食店といった印象だ。いったい大阪人は、他の都市の住民に較べて外食をする割合が断然多いのだろうか、それともそもそも食事をする回数が他の都市の人たちよりも多いのだろうか(私は日に2回)、もしそうだとしても大阪の市街を歩いていて特にでぶの人が多いとも思えないのはどうしてなのか、あるいは大阪の(主に)主婦は大体において料理がへたくそで家族はみんな外食をしたがるからなのだろうか、いや、本当は料理は上手いのだけれども面倒くさがりの主婦ばかりで自ら家族を外食に誘う場合が多いのだろうか、それとも自宅で食べるより安上がりだから外食をする家族が多いのだろうか、そんなことは絶対にないはずだから外食をする回数が多いということは大阪人のエンゲル係数は他の都市よりもずっと高いのだろうか、あるいは社内食堂のない会社の割合が他の都市よりも多いのだろうか、家庭で弁当を作ってもらえないサラリーマンや学生の割合が大阪は特に高いのだろうか、やっぱり大阪のおばちゃんたちはそんなにぐうたらな人たちばかりなのだろうか、朝寝坊する主婦たちばかりなのだろうか、いや、なんといっても大阪の食べ物はよそでは絶対に味わえないほど美味しいからわざわざ食事をするためだけにその都度大阪にやって来る人が多いのだろうか、そんな人たちを呼び寄せるほど大阪の食べ物は本当に美味しいのだろうか・・・うーむ、謎は深まるばかりだ。



千日前道具屋筋界隈


かくして、日々新陳代謝が繰り広げられているであろう大阪の飲食店たちであるが、新規開店するため、あるいは更新するため、拡充するために、人々は絶え間なくこの通りを訪れる。食器専門、家具専門、厨房器機専門、看板専門店など適当に棲み分けはできているようだ。もちろん一般の市民もここで買い物はでき、そしてある時期を境にまるで観光地のような様相を呈し始めた。だがそれ以前は、一般の商店街とは異なって一見ひどく地味な、それでいて水面下で厳しい商戦が繰り広げられているであろうことが垣間見えるような、不思議な通りだった。
ある時期とは私が思うに二度あった。一度は、お笑いの本拠地なんばグランド花月がこの通りを出たところに移転して来たとき。それまでも賑やかな界隈に囲まれてはいたが、人出が一挙に増えたこともさることながら、集まってくる人たちの様相が一変した。それまでは基本的にはいわゆる飲み屋街のような場所であった。今では圧倒的に若者の街となり、何台もの観光バスで観劇にやってくる観光客たちの街となった。なんばグランド花月の向かいには、大阪で最大といってもいいような書店までできている。
もう一つの時期は、食品サンプルなるものがTVでもてはやされることが多くなり、そんなものを求めて一般人や観光客がこの通りに興味を持ち始めた頃のことである。いまではわざわざ観光客向けに作られたものを売る店もできている。





いったいこの店自体の看板はどれなのか。左の黒い服の歩行者の横に立てられた木製の看板に営業中と書かれていたが、あれはこの店の状態を示しているものなのか、単なる売り物なのか、それともその見本なのか。自己言及のパラドクスというものを扱った二十世紀末期の哲学の主題が、まさにそのままに生きているような現場だ。





道具屋筋の裏手にあった炭の専門店。表通りで派手な店舗を構えなくても、それを必要とする人たちは必ずいて、他に競合する店もどうやらなく、したがって特にそのための努力をしなくても自動的に客はやってくるのだろう(などと無責任に想像してみる)。店構えは、80年代ころに意味もなく流行ったようなもの。意味もないテンション構造を用いた、意味もないデザイン。いま見るとちょっとというか、相当に気恥ずかしい。





もっと裏手の飲み屋街の中にある文字屋さん。文字書とあるから、最初は筆書きによるロゴ・デザインの専門店なのかと思ったが(そんなこともやっているのかもしれないが)、中を覗くと、店内の壁に張るメニューなどを筆で書くことを専門にしている店だった。なるほどあれらの張り紙はこんなところで生み出されていたのだった。ひどく得心がいった。





こんなものも新規開店時に必須とする人も多いのだろう。





夜になるとこの光景は世にも華やかで輝かしいものとなるのだろうが、こういう時間にあらためて見直すと、なんとも凄まじいというか、むごたらしいというか、あるいは神々しいというか・・・





二階が70軒ほどのスナック街、三階が宴会場とビジネスホテル、四階がサウナとビジネスホテル、五階が五百人収容の大宴会場。まさしく不夜城そのものといったところだ。毎夜、どんな酒池肉林的事態がこの中で繰り広げられているのだろう。





その入り口(の一つ)。得体の知れない人外魔境にでも入っていくような雰囲気。



最近、特にこの界隈に限ることではないが、大阪ではこういった表記が当たり前のようになってきた。好ましいことではあると思う。





いったい何なんだこれは。(上に述べてきた場所とは別のところで見つけたものだが、写真を撮らずにはいられなかった。)





今日のYouTube
King Crimson  「Epitaph」