新世界への帰還

受験者は、欠席者もちらほらいたようだが、事前に担当の人から教えられていたように、優に100名は越えていた。私を除く最年長者は、どう勝手に都合よく判断しても、私の年齢の半分を少し超えたかどうかというような若者だった。直前まで必死に勉強している者もいれば、呑気に文庫本などを読んでいる若者もいた。私はといえば、まわりの者に歳がばれないよう、目深に帽子を被り、必死に気配を消そうとしていた。だが気分はすっかり部外者だった。この試験で受験者は5分の1ほどに絞られ、その合格者には第二次の面接試験が待っている。最後は5名が合格することになっている。その5名になるはずのみなさん、おめでとう。
大きな問題が3問出たが、前の2問には何とか食らいつくぐらいのことはできたと思う。だが3問目は、何が問われているのかさえ解らなかった。手も足もどころか、指一本出せなかった。いうまでもないが、前の5分の1には入っていないものの、後ろの5分の一に入った自身はたっぷりとある。
実は同じような試験を無謀にももう一つ申し込んでいて、そちらの方はまず書類選考から始まる。当然、年齢が問題になるだろうとほとんど期待していなかったのだが、今日、その結果が届いた。恐ろしいことに、約2.5倍の競争率を生き抜いていた。多分審査官が、とんでもない奴が受験してきたと珍しがってくれたからなのだろう。こちらの方の学科試験は22日。きのうの試験で、どの程度の問題が出るのか何となく分ったような気がする。それに向けてもう少しだけ頑張ってみなければならなくなった。

(手抜きは免れないでしょうが、勉強の合間の息抜きとして、できる限りブログの更新は続けようと思っています。)



新世界
釜ヶ崎飛田新地、新世界、それに天王寺公園。この隣接し合った4つの地区が、戦後の大阪という都市の、最も大衆的で、最も貧しく、最も隠微、そして最も危険な部分を担ってきた。貧しさは、経済的な意味だけでなく、こういう書き方をするのはひどく気が引けるが、文化的にも著しくそうであったといわざるを得ない。日本中が戦後復興で立ち直り、高度経済成長によって空高く羽ばたこうとしていたときも、この地区は、一貫して大阪という都市に深く沈潜したネガフィルムのように、暗く取り残されたままであった。
ところが、その貧しさゆえにいつの間にかこの地区内だけで出来上がっていた自然発生的都市システムの数々が、近年、別の好奇の目によって見直され、脚光を浴び始めた。それまでこの地区が晒され続けてきた汚いものを見るような目つきが、いま、珍しいものを見るような目つきに変わってきた。きょう、炎熱の中を久しぶりに歩いてみて、デジカメや携帯で写真を撮る人たちの多さに驚いた。古くからの住民たちはきっととまどい、中にはどこかに逃げていった人も少なくないだろう。不思議だったりおかしかったりしたあれらの店や建物はどこに消えてしまったのかと私もとまどった。随分以前、私の事務所のスタッフであった地方出身のいたいけな明眸皓歯の青年が、この街で、女装したオジサンに、一緒にお好み焼きを食べようとしつこく誘われたことがあったらしい。



こういうアングルなら、これもなかなか乙なものだと私も思う。



上の写真が最高のアングルだとしたら、これが最悪のアングル。見る度に泣きたくなる。これからパリに行く予定のある人は、この映像をしっかり目に焼き付けて、同じようなアングルからエッフェル塔を見上げて頂きたい。ルーブル美術館大阪市立美術館(いずれ書きます)の差、あるいはコメディー・フランセーズと吉本新喜劇の差も凄いとは思うが、このアングルからの二つの塔の差は、本当に想像を絶する。(ということで、エッフェル塔が一番素晴らしく見えるのは、その足許を見上げたときのアングルなのです。)



近年、急に串カツが新世界名物として浮上してきた。そのブームに乗って新しい店がいっぱいでき、こんな行列までできている。二漬け(につけ)禁止という、聞き慣れないルール(ソースの入った容器は客全員が共有するものなので、そこに一度しか漬けてはいけないということになっている)が、そのブームの影のスパイス役になっているのだと思う。シロウトはこんな新参の店に惹かれてしまう。



これもブームに便乗した外部の商業資本によってできたであろう店。従来、自然発生的に形成されていたこの街のイメージが、虫眼鏡で拡大され、凝縮され、再構成された。



これも上に同じだが、いま少しひねくれている。新世界名物の大衆剣劇の劇場というモチーフが、飲食店の売り物として採用されている。



これが上のオリジナル・イメージ。出演者は地元でしか通じないような人ばかりだが、どういう訳か花輪には有名芸能人の名が連ねられている。



生きたまま強制的に心肺停止させられた新造の遊園地。
フェスティバルゲート」は、海底に沈んだ古代都市をイメージ。西南角には高さ約45m幅52mのH型のゲートタワーがそびえ、このゲートタワーから入っていくと2階のプラザ I、プラザ II、プラザ IIIと呼ばれる3つの広場につながっている。3つの広場は遊技施設や商業施設が一体化した都市型遊園地内にあり、遊びのおもちゃ箱を連想させるような夢空間を演出した「都市型立体遊園地」。
新世界に、プラザ! まさに、つわものどもが夢のあと。
鳴り物入りで作られたが、実質的には数年も持たなかった。一度だけジェットコースターが走っているのを見かけたことがある。マーケティング・リサーチなどというものがいかに根拠薄弱なものであるかということの歴たる証拠。



息づいている空間。ここだけの空間。



この写真を見て、ヨーロッパ、ジャズという言葉が浮かべば間違いなくそれは通の人だ。表向きは新世界正面入り口の通りに店を構える老舗の履物屋さん。だが影の顔は、知る人ぞ知る澤野工房。店主の澤野さんは、お客さんに下駄の説明をしていた。ファンらしい若者が何人か写真を撮っていた。



この街並みに、たとえば都市計画家やタウン・デザイナーと称する人たちは、付け加えるとすればどういうものを付け加えるのだろうか。あるいは、取り去るとしたら、どれを取り去るのだろうか。


きのう、試験が終わって、娘に付き添っている妻に電話をした。手術は無事に済んだ、出血も凄く少なかったとの報告を受けた。いま、麻酔から覚めかかっているところで、妹の手をずっと握ったままだといった。
明日は病院に行きます。


今日のYouTube
Billy Preston 「My Sweet Lord」(ジョージ・ハリソンの追悼コンサートより)
ダーニ・ハリソンがあまりに父親にそっくりなことと、ビリー・プレストンの歌の心地よさに驚いた。