新年あれこれ(追記あり)

昨年の11月25日と12月4日の両エントリーで述べたように、昨秋、友人のホンダ氏に誘われ、彼の奉職する大学の学生の合宿に私は付き合った。私にとってもここ数年、恒例のようになっていた行事であった。実はあの合宿に参加する直前の頃から、従来から罹っていた鬱病が少し進行し、服用していた抗鬱剤の量が増えていた。もちろん合宿には、その薬や、他に処方されていた導眠剤や睡眠剤なども抜かりなく私は持参した。
だがどんな良薬にも優るあの合宿の力であった。これはホンダ氏の人格による以外の何ものでもないが、学生たちはもちろんのこと、私自身も、実になごやかでのびやかで有意義な時間と空間を堪能することができた。結果的に私は1錠の薬も必要とせずにあの3日間を過ごすことができた。ついでに私は、その間、若い人たちの活力と感性を、吸血鬼のようにひそかにたっぷりと吸い取らせていただいた。あの合宿から帰って、妙な疲れや脱力感が残っていると感じた学生がいたとしたら、間違いなくそれは私の犠牲になった証拠だ。
それ以来、抗鬱剤の服用を私はやめていた。そのせいで確かにメランコリーは深く、エモーションの起伏も大きくなったが、なんとかそれでも日常をやり過ごすことはできていた。モノを作ったりするという意欲や気分もさして衰えている訳でもなかった。その成果が前回のエントリーで採り上げた椅子である。
ところが、これも前回に述べたことだが、年末から正月にかけてという私の大嫌いな時期がやってきて、すべてが元の黙阿弥になってしまった。いろんなことに巻き込まれるうち、すっかり気分はどんよりし、憂鬱な気分はいや増すばかりとなった。新年最初の神経科受診の日、私が最も頼りにしているカギ先生に、再び抗鬱剤の処方をお願いした。先生の助言に従って、今度は当分、最小限の服用を続けることにした。

昨年、ふとしたことで私はある若い同業者と知り合いになっていた。年末に会ったとき、彼は年が明けるとすぐに堺市に所用で出かけることになっていて、ならば凄い建築をお目にかけようと約束していた。当日、私にとっても20年ぶりのその建物への再訪であったが、相変わらずビクともしない偉容に私自身も大いに力づけられ、大いに慰められた。この建物についてはいずれここで採り上げるつもりでいたが、今回の再訪でその気分はぐんと強まった。いずれ条件が揃えば大きなエントリーを上げるつもりをしている。これはそのほんの予告編。ついでにここもどうぞ。

最初から一脚はぜひとも彼にと決めていて、出来上がったばかりのソナティーナ()を車に積み、先週の金曜日の夜、何ヶ月ぶりかでホンダ邸を訪問した。昨秋の合宿からまだ2ヶ月しか経っていなかったにもかかわらず、ホンダ氏ならでは、あるいはホンダ氏だからこそというような話が山のように積もっていた。いつものように奥さんも加わって話は尽きず、まだ11時頃だろうと思ってふと時計を見ると、すでに深夜の2時を回っていて私はひどく驚いてしまった。それから1時間ほどして、私と同じような時間感覚でいたらしいホンダ氏も、時計を見て驚いた。
最初、それまで二人のあいだでは話題に上がったことさえなかったような商売の話で、思い切り盛り上がった。およそ見当外れな発想によるその商売を、共同出資で始めれば、来年の今頃は二人とも億万長者になっているはずだ、そんな確信に私たちはしばし満たされた。だがあっという間にそんな空疎な絵空事から解放され、すぐに私たち本来のペースに戻った。
昨12月18日のこのブログのエントリーで張り付けた秋田県西馬音内の盆踊りのYoutubeを、私は持っていたiPhoneでホンダ氏にお見せした。建築を民俗学的な側面から考えることにおいて誰よりも強い関心を持っているホンダ氏のこと、いうまでもなく、ぜひとも実際に見学に行こうという話になった。また、バスクの文化が最も色濃く残っているにちがいないと二人がそれぞれ別個に目をつけていたあるピレネー北麓の街にも、今年は一緒に行こう。
できることならどちらも小さなグループを組んで行きたいと瞬時に私は予定を立てた。まわりを見渡しても、参加希望者は少なからずいるはずだ。いなくても彼と彼と彼・・・は無理にでも引っ張っていこう。可能性は限りなくゼロに近いが、というよりゼロそのものであるだろうが、極東と極西の文化を関連づけられる何ごとかが発見できるかもしれない、などという途轍もないホラ話を想いながら、ホンダ邸ではいつもそうであるように、限りなく安らかな気分で、私は眠りについたのだった。

今日、昨年末以来、私を最も煩わせていたある問題の突破口が見つかった。ここ3週間ほど、ある犯罪者を私は私は匿っていて、その犯罪から彼を放免し、合法的に解放してやることのできる糸口がついに見つかったのだ。急遽こんなエントリーを上げようと思い立ったのは、そのことによって一挙に肩の荷が下りたような気分になったからだ。明日、ことの次第がはっきりすることになっている。すべてが首尾よくはこべば、明晩、その顛末をここで詳しく報告するつもりだ。報告がなければ私自身が犯罪者隠避のカドで留置場にいると思っていただきたい。


追記(1月13日 23時30分)
好事魔多し、と称するには、今私がやっていることはあまりにも好事でなさ過ぎるし、千里を走ってくれるような悪事を働いている訳でもないと思うけれど、やはりというか、結局すべてが首尾よくはこぶということにはなりませんでした。私自身も、今これを書いているということは、留置場にいるという訳でもありません。明日、さるところにまた出かけることになっていますが、もうすべて首尾よくはこぶというような楽観は捨てました。何ごとによれ、必要なのは根気と我慢であるということを思い知らされています。






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ヴィム・ヴェンダース    「Der Stand der Dinge(ことの次第)」

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