恵美須町界隈

8月11日に取り上げた大国町のすぐ東側に位置する。恵美須町という名はこの街のシンボルたる今宮戎神社に由来するのだろう。東京に住む私の姪が、エビスという場所に住みたがっていると聞き、東京にも同じ地名の場所はあったのか、それにしてもさすが我が姪、自分から進んでこんな下町に住みたがるとはなかなか殊勝な心がけの持ち主だと感心したことがある。
大阪の方は比でなく美である、寿でなく須である。同じエビスでも、大阪の方がもっと洗練されていそうではないか。ところが東京の恵比寿はこんなところ、大阪の恵美須は以下のような街であった。我が姪は単なるオサレに憧れていただけではないか。いたく失望した。


反射質のビルが並んでいたりして、一見、東京の恵比寿と似た雰囲気もなくはないように見えるかもしれないが、ビジタルという看板を掲げた建物がやたらと目につく。ビジタルというのは、いまネットで調べてみると、なんだか得体の知れない、しかもほとんど大阪の下町地区にしかない宿泊施設、もしくは住居のようである。興味がある人はご自分で調べてみて下さい。





商売の街大阪の、商売の神、今宮戎。1月9日を宵戎、10日を本戎、11日を残り戎といい、一年分のほとんどの賽銭をこの三日間で集める。昔は相撲取りのことを一年を一五日(今は九十日)で過ごすいい男などとといったが、ここは一年を三日で過ごすいい神社。白手袋をはめた大勢の銀行員が一斉に賽銭を数えるというニュース映像が、大阪の年初の風物詩となっている。そしてその映像の背景には必ずピンク・フロイドの『マネー』がかかっている。どちら側にとは敢えていわないが、ひどい冒涜だとあの映像を見る度に私は憤慨し、TV局の人間の相も変わらぬ貧困な発想にいつも呆れてうんざりさせられる。





戎神社であれば当然のことなのだろうが、大漁満足などという御利益、というよりそんな熟語があったことをきょう初めて知った。大阪市民にとってはただひたすら商売繁盛のエベッサンだ。この三日間、巫女の扮装で福笹なるものを売る福娘というものが、毎年若い女性の応募者から選ばれることになっていて、それに選ばれると、大阪では結婚の条件に大層な付加価値がつくとのこと。一度、そんな娘さんをある大学で教えたことがある。





大国町近辺が俄かに新しい街に生まれ変わりつつあると先日述べたが、隣接するこの一帯にもその波は当然のように押し寄せてきていて、数年前までは考えられなかったような高級そうなマンションができていた。





とはいえ、上のマンションから歩いて2,3分のところにはまだこんな場所も。早晩、これも同じようなものに建て替えられるときはくるのだろう。





こんな地区で、クレイジー・マーケットなどと謳っているのだから、どんな面白そうなものが並んでいるのだろうとわくわくして入ったら、業務用エアコンや冷蔵庫を扱うリサイクルショップだった。あほらし。





パリの都市景観を損なうとして、エッフェル塔の建設に猛反対する運動の先頭に立っていたにもかかわらず、完成後、毎日エッフェル塔内のレストランで食事をしていたモーパッサンが、その理由を尋ねられて、ここがパリで唯一、エッフェル塔を見なくて済む場所だから、と答えたというのはよく知られた逸話だ(因みにこの逸話には、なぜかウィリアム・モリスオスカー・ワイルドといったイギリス人のバージョンもある)。通天閣内にはどうもそんなレストランはなさそうで、かの偉大な文化人たちのひそみに私は倣うことができないのがとても残念だ。もしかしたら通天閣内に食堂のようなものはあるのかもしれないが、私の知ったことではない。
ところでみなさぁん、『元気な大阪、美しい水の都』らしいですよぉ。ぜひ見に来てやって下さいねぇ。
それにしてもこんな巨大な看板なのに、そこに打たれた『、』に、ちょっとだけ私は心を動かされた。





真緑、マミドリ、モンロー、タコヤキ、ここはエビス。





だが、驚くなかれ、東京の恵比寿にもない、何と、れっきとした鉄道の、堂々たるターミナルが、大阪の、恵美須には、あったのだ。(東京の恵比寿にターミナルがあるのかどうか私は知りません。知りたくもありません。)





行き先は、堺市の浜寺という、かつては芦屋と並ぶ関西有数の高級住宅地だった場所。




今日のYouTube
いうまでもなく今日はこれ。
Pink Floyd  「Money」



きょう、8月22日に受けた試験の発表がありました。2.5倍だった書類選考に通過したのがそもそもおかしいと自分でも思っていたのですが、まともに勉強したのがほんの2週間ほど、他は私の年齢の半分にも達しないような受験者ばかり、みんなおそらく1年以上かけて必死で勉強していたのでしょう(と、悔し紛れの自己弁明)。私とは一番違いの受験番号の人が合格していました。惜しかった! 
蝸牛の歩みのような回復しか見せない長女の治療について、いろんなセカンド・オピニオンを求めようとしたのですが、一向に埒があかず、ならば自分でベスト・オピニオンを勉強してみるしかないとふと思い立ち、それにしては無謀にもほどがあるというものですが、受験科目が英語と生命科学の2科目だけという最も受けやすい条件の国立大学二校(私立はどこも授業料が年間1千万円ほどもかかるのでもちろん論外でした)の医学部の学士入学試験というものに挑んだ、やけに暑いこの夏でした。