ヘンリー・シルヴァの含み笑い

今日の午後、勉強をするために近くの図書館に歩いて出かけた。貸本屋さん(というのは今でもあるのかな)を大きくしただけのような、すごく庶民的でこぢんまりとした図書館だった。涼しくて静かで仄暗く、とても居心地がよさそうだった。けれど空いている席がなかった。席に着いている人たちも、涼しさの中で休憩するということが主目的の近所のおっちゃんやおばちゃんといった感じの人ばかりだった。子供用閲覧コーナーの子供たちもやはりみんなそんな風情だった。ほんの短時間ではあったけれど、夏の昼下がりの、とても良質な時間と空間が体験できた。明日も出かけてみよう。席が空いていればいいのだけれど。

図書館に向かって歩いている途中、なぜか急にヘンリー・シルヴァというアメリカの俳優の顔と名が浮かんだ。昔からこの俳優にはちょっと特別な関心があった。
名前は知らないけれども顔は知っているという俳優はどんな人にもざらにいるだろう。だが、特にマニアックでなくてもアメリカ映画というものを普通に観ている人ならば、ほとんどの人は絶対にこの俳優を知っているはずで、つまりそれほど際立ったキャラクターの持ち主だということだ。にもかかわらず、ほとんどまったく無名といってよい。
ヘンリー・シルヴァとはまさにそのような特性の持ち主の俳優だ。一度観たら絶対に忘れられないような強烈なキャラクターであるにもかかわらず、俳優としては決して関心をもたれない。
あらためてバイオグラフィーを読んでみると。
1928年生まれだからもう80歳。ニューヨークのハーレムで生まれた。13歳で学校を中退し、皿洗いで自活しながら役者になる勉強をした。1955年、アクターズ・スタジオが開いた「A Hatful of Rain」という演劇のオーディションに応募し、2500人中の5人に選ばれた。根っからの演劇人であった。
だが彼の演じてきた役柄は、私の知る限り一つの例外もなく、根っからの悪人、それも必ず冷酷、残忍といった形容が付くようなものばかりだった。彼の演じている役柄が彼のキャラクターそのもののようであり、どうしてこんな人が人前で演技をするというような職業を選んだのか、昔から私は不思議でならなかった。
いつしか私は、一度くらい、彼が善良な市民のような役を演じている映画を観たいと思っていた。一度くらい、そんな役を彼に演じさせてやりたかった。
と思ってYouTubeを検索すると、善良な市民という感じではないけれど、多分、復讐劇と思われる物語の主人公を彼が演じている映画があった。「Mother Fucker」というハード・ボイルド・タッチのイタリア製映画で、それまではアメリカの三流スターであったクリント・イーストウッドがイタリア製西部劇で突然大スターになった、それと同じようなことを狙ったのかもしれない。だがあまりにもネガティヴに強烈なキャラクターのゆえ、イーストウッドの再来とはいかなかったようだ。
だがシルヴァには二人の息子がおり、当然孫もいるだろうから、家庭では好々爺の人生を歩んでいるのだろう。そのような場面を想像しながら歩いて帰ってきた。



今日のYouTube
Henry Silva & Motorhead 「Mother Fucker」

Motorheadというのはこのクリップで音楽を担当しているグループのことなのだろう。)