猫たちその3

大阪で私が親しく付き合っている人たちの中には、当然、大阪出身者ばかりではなく、いろんな地方出身の人たちもいる。ざっと思い浮かべただけでも、北海道から沖縄県に至るまで、ほぼ全都道府県を網羅しているといってもいいほどだ。みんな高校や大学を出て、仕事の関係で大阪(や近県)に住み始めた人たちばかりで、長い人はほぼ50年、短い人でも20年近くになる。そして彼らは、少なくとも私と話すとき、絶対に大阪弁を話すことはない。話そうとしても話せる者はおそらく一人もいないだろう。さすが秋田県の人は、初めて会った頃は訛りが強く、何をいっているのか分りにくいこともあった。だが私より相当年長の人であったこともあり、それを矯正して欲しいなどとは毛頭私は思わなかった。むしろ、関西では滅多に聞く機会のない東北弁であり、こんな書き方をするのは失礼なことになるのかもしれないが、その方と話すことは珍しく貴重でさえあった。だがそれぞれに年月を経るにつれ、おそらく本人たちも気付かないうちに少しずつ大阪弁に馴染み、彼らの出身地の人が聞けば、もう地元の言葉ではなくなっていると感じるのかもしれない。だが私からすれば、彼らの話している言葉は絶対に大阪弁ではなく、秋田の人は秋田弁、東京の人は東京弁、広島の人は広島弁のままとしか聞こえない。
また私が大阪以外のところへ行っても、絶対に私は大阪弁しか話さない。いくら東京弁を元にした言葉が共通語になっていたとしても、それは私たち大阪人にとっては聞くだけの言葉であり、話す言葉では絶対にない。話したくても話せない。仮りに話そうとしてもひどくぎこちない不自然なものにしかならないだろうし、却って相手を不愉快にさせてしまうことを自分たちの方がよく知っているからだ。
話は変わるが、毎年、一度くらい、東京に雪が積もり、何人かの人が怪我をしたり、場合によっては亡くなったりする人が出ることもあることを、なぜか私はとてもよく知っている。街中のあちこちで車が渋滞したり、鉄道や飛行機に遅れや欠航が生じ、それを利用する人々や、それらが向かうはずであった地方に多少の影響が出たりすることがあるということも私はよく知っている。だがそのことによって全国に深刻な影響が出たなどということは、寡聞にして私は知らない。とはいえもちろん私とて、渋谷の坂道で骨折をしたお婆さんや、みっともない転び方をしたところをまわりに目撃されて恥ずかしい思いをした丸の内のO.L.さんたちに同情することにやぶさかではない。だが、どうせなら、雪の降り始めの頃の雪国の人たちが、はるかに多く同じような目に合っていたり、毎年、数十日以上に亘って、他の地方では想像すらできないような苦労や、もっと深刻な問題に取り組まされているということに、その同情心を取っておいてやりたいと思う。だがあいにく私は、日本の一地方にすぎない東京でたまたま年に一度くらい起こっている些細なローカル・ニュースについてその都度つぶさに知ることができているのに、その何十倍、何百倍もの苦労をしている人たちのことはほとんど知らない。そんな自分を反省しないといけないと痛切に私は思っている。
先日、ある有名ブロガー(女性らしい)が、「数日間の旅行者や短期間の滞在者にまで、こんなことは言ってない」などと弁明しながらも、郷にいれば郷に従えという金諺を援用しつつ、東京で仕事をしながら大阪弁を話し続ける若者にひどく不愉快な思いをさせられたということを延べ、東京で生活する限り、その者は共通語を使うべきだと力説していた。だがそもそも彼女は、方言を話す短期滞在者と、東京に移り住んでいるにもかかわらず方言を使い続ける者をどのように識別するのだろう。短期滞在者の場合、大抵それは初対面のはずだから、あなたは短期で東京に来たのですかなどと確かめてからその方言を許すのだろうか。また彼女は、「もしも、あたしが、どこか他府県に移り住むことになったら、できるだけ早くその土地の方言で話せるように努力するだろう」とも書いていた。だが他の道県の人たちはそれをどう受け取るのかは私には分らないが、そして本人はそんなことは絶対に望んでいないだろうけれども、もし何らかの止むを得ない事情によって彼女が大阪に移り住んでくることがあったとしても、そして私の行動圏に彼女が入ってくることがあったとしても(どちらもあまりにも可能性のなさそうな話ではあるが)、絶対に私はそんな努力を彼女にして欲しいとは思わない。そんなことは無駄な努力だし、第一、ひどいはた迷惑なことですよと彼女を諭してやらなければならない。本当に彼女はそんな場合を想定し、繰り返し思考実験をし、まともな大阪弁を話せている自分の姿を確認してからこんなことを書いたのだろうか。大阪出身でない役者が、専門の方言指導員なる人たちからからさんざん訓練を受けた上でのことが多いであろうにもかかわらず、どれだけ多く、どれだけ耐え難く、どれだけキショクの悪い擬似オオサカベンなるものを我々大阪人は聞かされ続け、いたたまれない思いをさせられてきたか、おそらく彼女は知らない。
以上は、東京で雪が積もった日の事柄とよく似た事情によるものだと私は考えている。
30年ほど前、当時東京医科歯科大学の耳鼻科教授だった角田忠信という人が、『日本人の脳』という本を出して話題になったことがある。一般に人間が音を聴くとき、言語は左脳で、それ以外の音は右脳で処理するといわれていて、これは万人共通であるという。だがその言語も、一般的に子音は左脳で、母音は右脳で処理されているという。ところが角田教授のさまざまな実験結果によると、虫の鳴き声や波、風の音など、日本人以外の人たちが右脳で聴いて雑音として処理している音も、日本人は言語と同じ左脳で聴き、情緒的に意味のある音として処理しているのだという。ところがさらに、外国人が右脳で処理している母音も、日本人は左脳で聴いているのだという。つまり、外国人にとっては子音に対する補助的な役割しか担っていない母音にも、日本人はそれなりの意味を託しているということなのだろう。当時、この角田説は安部公房湯川秀樹といった人たちまで大いに得心させた。
といってもこうしたことはいうまでもなく獲得形質であり、たとえば二世以降の在日外国人、つまり日本語を母語とする者は日本人と同じ型を示し、海外に移住した日本人の二世以降の者はその国の人たちと同じ型を示すという。これは、日本語が母音を基礎とした世界でも稀有な言語であることに基づいているからだろうと教授は述べている。ところがポリネシアに一つだけ日本語と同じ母音を主とした言語を話す民族があり、やはり日本人と同じ型を示すという。角田教授は、こうしたことは生理学的に確認されたことで、否定しようのない事実であるという。実際、アルファベットを使用している人たちの間では、たとえばニューヨークをNY、カリフォルニア大学ロサンゼルス校をUCLAなどと、子音の羅列のみによって意味を伝えることが習慣化しているのに対し、日本では東京をトキ、京都大学をキトダガなどと省略したりはしない。
結局何が言いたいのかというと、共通語というのは、つとめて母音の持つ微妙なニュアンスを排除し、書き言葉と同じ意味だけを伝えるべく彫琢された言葉であろうということだ。しかも全国からさまざまな方言を話す人たちが集まっている東京では、その傾向は今後ますます強くなっていくだろう。つまり日本語においては、共通語化が進めば進むほど、それは脱日本語化したものになっていくことになるだろうということだ。
ところが周知のように、大阪弁は特に母音に重きを置く方言である。いろんな方言を聞き分ける能力など私にはないので実際のところは分らないが、大阪弁ほどその傾向が強い方言もないのではないかと思う。昔、タモリがラジオで、大阪出身をひた隠しにしていた者に、ネクタイという言葉を喋らせると、即座にその正体がばれたというような話をしていたことがある。普通に東京弁を話す者はnektaiという表記に近い発語をするのに対し、件の若者はnekutaiと表記されるような発音をしてしまったからだという。
かくのごとく、大阪弁母語とする者とそうでない者は、母音を処理する脳の獲得形質がすでにして異なっているのである。アナウンサーなどの強制的に矯正せざるを得ない人たちを除き、大阪人に大阪弁以外の言葉を話せというのは、あるいは大阪以外の出身者に大阪弁を話せというのは、そもそも生理学的に無茶な話なのである、と私は思っている。もちろん多少なりとも個人差というものはあるのだろうが。
ところで、いつかあるところで、沖縄出身の某お方が、沖縄のおでんにはレタスが入っていて栄養のバランスがとてもいいのだと郷土自慢をされたことがある。それに対して「おでんにレタスう?」と生粋の大阪人であられる別のお方が疑義を挟まれた。この“ス”と“?”の間に挟まれた“う”という一文字に、どれほど複雑、微妙、屈折したニュアンスが込められていたか、もちろん一瞬にして私は了解することができた。だがそれを解きほぐして一つ一つ箇条書きにしていけば、優に百文字や2百文字は必要となるだろう。
(以上、便宜的に大阪人や大阪弁という表記で代表させたが、関西人、関西弁という表記でもほとんどそのまま通じる事柄だと思う。)




猫たち

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