侍女たちと執事(2)

缶切りは缶の中

サンセット大通り』が映画についての映画、破格の映画であるということを理解するためには、まずトートロジーという概念について理解しておく必要がある。だがトートロジーという言葉を辞書で引いても、同義反復、同語反復などといった説明しかなく、こんな説明でトートロジーというものの本質が理解できる人がいるとはとても思えない。とはいえ、なにもこんなエラそうないい方をしなくても、この言葉が意味しているところのことは、おそらく子供でも認識してしているだろう。
私は子供の頃、人前でいい子ぶったり、心にもないようなきれい事をいったりしたあと(そうだ、そんな私はイヤミな子供だった)、自分はなんて偽善者なのだろうと少しばかり反省の気持ちが湧いたりしたことがあった。偽善者という漢字言葉をその頃の私が知っていたかどうかは定かでないが、偽善という言葉が意味するところの人間的行為については十分に認識していたのだろう。ところが、自分で自分のことを偽善者だと思うこと自体がまた偽善的行為だと思い、そう思うことがまた偽善的で・・・・・と果てしなく続き、私にはどうしても自分の行為が本当に偽善的だと同定することができなかった。
いかにも自分が知的で哲学的な子供だったと自慢するようで、本当はこんなことは書きたくなかったのだが。と、また偽善者ぶっておく。だがつまるところ、トートロジーとは、私が子供の頃によく陥っていたそのような論理構造のことだ。元々は論理学用語、もしくは数学用語である。
たとえば、言葉というものを定義してみよう。「いかなる事象、感情の内実をも他者に明確に伝えるべく備わった人間に固有のコミュニケーション手段」。いま即席で考えたいい加減な定義である。もっと正確な定義はいくらでも可能だろう。だがはたしてそれらは真といえるだろうか。答えは否である。どんなに高等、明晰な知性の持ち主によってなされたとしても、それらの定義は絶対的に否である。なぜなら、それらは定義しようとする言葉そのものを用いてしまっているからである。もっと簡単な例として、「ある」という言葉で示せば一目瞭然だ。この「ある」という言葉を定義するとして、だがそれを決定するのは必ず「ある」という言葉である。定義自体の中に定義しようとする言葉が含まれてしまっている。
いまでもそんな風潮が残っているのかどうか知らないが、以前はマッキントッシュのユーザーはウィンドウズ(というより当時はDOSV)のユーザーを見下して小馬鹿にしているようなところがあった(『プラダを着た悪魔』で、ファッション業界の最前線を死守しようとしていたメリル・ストリープがこれ見よがしに使っていたのも、もちろん、いかにもオシャレなマックであった)。いまもそうだが、当時もマックよりはDOSV機の方がユーザーは圧倒的に多く、したがってマック・ユーザーが使いたくても使えないソフトが多く、エミュレーションというソフトが出回っていたことがある(そんなものがいまも残っているのかどうか知らないが)。つまりマッキントッシュのコンピュータでウィンドウズのシステムを仮想的に実現し、そこで豊富なウィンドウズ用ソフトを使おうというものであった。だが、そもそもCPU(当時のマックはモトローラの68000系、ウィンドウズは基本的にはインテルの80x86系)が異なっていたので、当然、実行速度は相当に落ちてしまい、またフロッピー・ディスクのフォーマット形式も異なっていたので、ほとんど実用にはならなかったと思う。実際、そんなことを試みていたのは、実用性よりも、優越感に浸りたいためのマック・ユーザーたちのマニアックな遊びの域を出なかったように思う。本当に鼻持ちならない人たちであった。
そして、何を隠そう、私もその鼻持ちならない人たちのひとりであった。しかも私の鼻持ちならなさはさらに貪欲であった。そのコウマンチキなマック・ユーザーをさらに鼻で笑うアミーガ・ユーザーと呼ばれる人たちがいて、その末席に私も加わっていたことがある。ハードもソフトも一切日本語化されていず、したがってアミーガ・ユーザーは特別の専門店か個人輸入によってしかそのハードやソフトを手に入れることができなかった。当時のマッキントッシュが得意気に使用していたメタファ、そしてその後ウィンドウズも同じメタファを使い始めたデスクトップという初期画面を指す言葉を、アミーガではワークベンチという言葉を使っていて、それだけでひどく選民意識をくすぐられた。しかもアミーガはマックと同じモトローラのCPUだったせいもあり、アミーガのマッキントッシュエミュレータは、CPUが同じクロック周波数であればマックよりも動作が速いということでも評判だった。アミーガでマック・エミュレータを作動させ、さらにそこでDOSVエミュレーションを作動させる。そんなどうしようもなくマニアックで鼻持ちならない人たちがアミーガ・ユーザーだった。だが一般のユーザーに対するあまりの迎合性のなさのため、アミーガ社はとっくに倒産してしまった。それでもモトローラ68040、25MHz(だったと思う。GHzではない。昨今はGHzが常識になっているが、MHzはその千分の一の単位)のCPUでアミーガを使い続ける人たちはいまだに世界中にいると聞く。
そんなアミーガ・ユーザーたちの間で頻繁に使われていた言葉がある。
「缶切りは缶の中」。
自分の必要としているドライバなどが、そのドライバを用いたハードやソフトによってしか手に入らない状態。私もしばしばこの状態に陥った。光ケーブルやADSLによるインターネット常時接続などまだ夢のまた夢であった頃、ネットに接続するのにモデムは必需品であった。ところがあの頃のコンピュータのシステムは現在のように安定したものではなく、しょっちゅうシステム障害が発生し、そのシステム自体を再インストールしなければならないというようなことが頻繁に発生した。ところがモデムなどの周辺器機のドライバ・ディスクなど、大抵、いつの間にかどこかに紛れて見つからなかった。モデムのメーカーのサイトから手に入れることができるのは分っていても、そもそもそのドライバがないとインターネットにつなげることができない。こういう状態を「缶切りは缶の中」とアミーガ・ユーザーは呼んでいた。
たとえが長くなったが、つまりトートロジーとは、こんなにも分りやすい仕組みなのである。ところがそれが認識という人間的行為に関わってくると、底なしの闇に人間を導いていく永遠のテーマとなる。
30年近く前、アメリカでダグラス・ホーフシュタッターという人の書いた『ゲーデルエッシャー・バッハ』という本が出版され、一部で大いに話題になったことがある。内容は、それぞれ分野のまったく異なるこの3名のやったことは、トートロジーの構造の追求ということで共通しているということをわかりやすく解説しようとするものであった。ダグラスはノーベル物理学賞を受賞したロバート・ホーフシュタッターの息子で、この本によって彼はピュリツァー賞を受賞し、さらに「サイエンティフィック・アメリカン」誌で「数学ゲーム」というコラムを25年間連載していたマーティン・ガードナーから直々に後継者に指名された。
人間の錯誤を利用した無限階段を多く描いたエッシャーや、無限に上昇していくかのような印象を与えるバッハのカノンなどに絡めながら、数学者クルト・ゲーデルの「不完全性定理」について、専門的な立場から、この定理が数学にとって、あるいは人間の認識のシステムにとって、いかに究極的なものであるかということをダグラス・ホーフシュタッターは分かりやすく解説した。ここでそこに深く入っていくにはあまりにもテーマが膨大になりすぎるし、もとより一門外漢にすぎない私などが立ち入れるようなところのものではない。因みにゲーデルの「不完全性定理」(1931)とよく混同されるのが、物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクの「不確定性原理」(1927)だ。数学の世界における「不完全性定理」と同じような役割を物理学の世界で果たし、アインシュタイン相対性理論を過去のものとする量子力学の成立を決定的なものにした。両者は結局は同一のことを別々の局面から語ったのだという者もいるという。
もちろんこのトートロジーの底なし沼のごとき誘惑地獄に嵌り込んだ人は、ホーフシュタッターだけでなく、アキレスと亀のパラドクスや、永遠に的に到達しない矢のパラドクス(アキレスが亀に追いついたり矢が的に届くためには残りの半分の地点を通過しなくてはならず、理論的には半分の地点は無限にあり得るのでどちらも永遠に到達不可能ということになってしまう)、あるいはクレタ島の嘘つきのパラドクス(「クレタ島人はすべて嘘しかつかないとクレタ島人が言った」は真であるということを同定できない)などといった古代ギリシャの哲学から、ジャック・デリダ柄谷行人まで、おそらく後を絶つことはないだろう。二十世紀最高の哲学者といわれたヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない」という有名なテーゼも、このトートロジーの同定不能性について述べたものだと私は考えている。埴谷雄高の「自同律の不快」という有名な言葉も、ヴィトゲンシュタインとは別な局面からの同じ趣旨の表明だ。
こうしたパラドクスが成立するのは、すべて人間の使用する言語自体に致命的な欠陥があるからだなどという説を唱える人もいるという。

以上、話は門外漢の一知半解による随分と小難しいことになってしまった。だが何度もいうように、その基本は子供にも分るような普遍的なことである。そして『サンセット大通り』には、このトートロジーという構造が、極めてソフィスティケイトされた形で表現されている。次回のエントリーでそれを明らかにする。






M.C.エッシャーの無限階段。福井県三国町エッシャーの父親が設計した建物が実在する。





エッシャーの自画像。昔、下町のマンションに事務所を構えていたとき、この絵をA2サイズの透明フィルムに焼き付け、透明な窓ガラスに貼っていたことがある。ある時、おばちゃん二人がその窓ガラスを指さしながら、なにか異常な人物がそこに住んでいるのではないかといった訝しげな風で話をしているそばを通ったことを思い出した。





マツモト邸再訪
先週、マツモトさんから電話があり、昼ご飯を一緒に食べようと誘ってくれた。昨年、サンティアーゴに着いた次の日、私がそんなところにいるとも知らずに電話をくれた。外国でもそのまま使える携帯電話を私が持って行っていたからだ。いまスペインにいる、千キロほど歩いてきたところだと話すと、それだけで彼はすぐにすべて了解してくれた。その後も、大した用事でもないのによく電話をくれる。
今は自転車で10分ほど離れたところにお互いの事務所を構えているが、数年ほど前まではお隣同士だった。だからという訳でもなかったけれど、両方にとって友人であったある人物を介して、23年前、彼の家を設計した。
非常に厳しいクライアントだった。私たちのような職業の者にとって、クライアントというのは本来的に厳しいものだが、彼の場合は別格だった。大阪でも有数の売れっ子カメラマンであった彼は、スタッフにもいつもとても厳しかった。絶えず怒鳴り散らしていた。あの当時、本当に恐いもの知らずだったと、この間、彼はしみじみと言っていた。
だが私にとって彼は最良のクライアントでもあった。お金や工期については人一倍厳しかったけれど、私がやろうとしていることについて彼は一切口出しをしなかった。予算や家族構成、その他の希望事項など必要最小限のことを私に伝えると、後はすべてこちらのやることを彼はそのまま受け入れた。自分のやろうとしていることについて、素人であるクライアントから口出しをされることが最も作品を駄目にするということを、彼本人が身をもって痛切に認識していたからだ。だから私にとってあんなに何もかも自由に設計できた仕事は他になかった。





先週の日曜日、自宅のコンピュータでどうしてもやってもらいたいことがあるからと頼まれ、ほぼ20年ぶりぐらいに彼の家を再訪した。彼の奥さんも私と同じ鬱を患っていて、そういう人間の扱い方を心得ているのだろう、つい引きこもりになりがちな私を何とか活動させようという彼の気配りが有難かった。奥さんは私と同じ抗鬱剤を服用していて、私にはもうほとんど回復状態にあるように見えた。
マツモトさんは槍まくり寛助というハンドル・ネームでブログをやっている(というか、やっていた。今は休止中)。私のこのブログのアクセス数を尋ねられ、一日に百人を超すこともあると答えると、オレのブログは午前中だけで2千5百(2万5千だったかもしれない。私の耳と記憶力は常に自分にとって都合のいい方に聞こえるようになっている)いくと鼻で笑われた。だから仕返しに、目の前にあった彼のノートパソコンで、これ見よがしにコマンド・プロンプトを開いてIPアドレスなどを調べてやり、わざと分かりにくくその説明をし、フンといってやってその場をしのいだ。





このファサードには、あえて言わないが、建築の表現というものを読解するコードをもつ者ならば、驚くようなメタファを込めたつもりだ。ファサード(facade)の語源はもちろん顔(face)と同じ。ここでは示さないが、プランには、そのメタファがもっと明瞭に現れている。





隣の家に住む4歳ぐらいの男の子が、毎日この階段に遊びに来ては何時間も離れないということを聞いて、この設計は大成功であったと私は確信した。もちろん、常識ならば許されないことをマツモトさんがそのまま受け入れてくれたからだ。普通、特に住宅の場合、何年かすると知らない間に改造されたりしていることが多いものだが、マツモト邸は当時から変わったところが何一つなかった。便利なものがいっぱいできているはずなのに、キッチンさえまったく当時のままに丁寧に使われていた。設計者冥利に尽きる話だ。








2階の廊下。Y字型に分かれていく街路を表現しようとした。円柱は、上のメタファからいえば、プラン上、ちょうど臍に相当する。地球の臍、日本の臍などといった場所的アナロジーではない。まさに生物学的な意味におけるメタファとしての臍。





これがこの住宅の本邦初の公開となった。




今日のYoutube
Johann Sebastian Bach   「Endlessly Rising Modulation Canon(永遠に上昇していくかのごときカノン)」




同  「Crab Canon(蟹カノン)」
楽譜を逆にして演奏しても同じ曲になる。