臨時更新2

今日のYoutubeへのキャプションと、もう一本Youtubeを追加しました。(12月25日、2時35分)


先ほど、TVをつけながら晩ご飯を食べていると(行儀が悪いといわれそうだが、最近の私は食事時しかTVを観なくなっていて、だから行儀を正せば、もうTVを観ることはほとんどなくなってしまいそうだ)、『アサルト13 要塞警察』という映画をやっていた。大分以前にビデオ・レンタル店で見つけて借りたことがあり、あらためて観ようとは思わなかった。というよりこの映画についてはひどい印象しか残っていず、観たくもなかった。 (どうでもいいことかもしれないが、原題の「Assault on Precinct13」(第13分署への夜襲、というほどの謂い)のassault を、どう読めばアサルトなどとなってしまうのだろう。というより、なぜアサルトなどという、誰にも分からないようなカタカナ語をタイトルに使う必要があるのだろう。因みにassaultのもっとも近いカタカナ表記はアソールトだろう。)

この映画のオリジナル、ジョン・カーペンターの『要塞警察』は、ちょうどスティーヴン・スピルバーグ出世作となった『激突!』に匹敵するほどの作品であったと私は思っている。だがスピルバーグの映画はその後うなぎ登りに豪華化していったが、ジョン・カーペンターの場合は、まさか本人がそう望んでいた訳でもないだろうが、その後もずっと同じような低予算の路線が続いている。
いずれにせよ、カーペンターの『要塞警察』は、『激突!』と同じように、低予算ながら、というより低予算だからこそ、冗長なところの一切ない、実にシャープに切れ上がった作品となっていた。あまりの低予算ゆえ、有名俳優など誰ひとり登場せず、挙げ句に音楽もカーペンター自らが担当し、それもただシンセサイザーのみを用いたものであった。だからカーペンターにしてみれば、音楽の予算はほとんどゼロですませたというに等しいようなものであったろう。なのにこの音楽自体も実に効果的であった。じわじわと恐怖感を盛り上げていくというその効果において、ジョン・ウィリアムズが一気に名を上げた『ジョーズ』のテーマにも匹敵するくらいの力を持っていたと私は思う。
暴力事件の多発でほとんどの住民が街から逃げ出し、今夜ですべての警察署も撤退することになっているアメリカのある地方都市。そのうすら寒い都市空間を覆う何ともいえぬ恐怖感。そしてその恐怖が一閃するような導入部(アイスクリーム売りのシーン。今日のYoutubeの映像で、二番目に出てくる場面)から、シンプルでありながらも心の底にまで届くようなこの音楽が、見事というしかないようなタイミングで現れては観る者の恐怖感を募らせていく。
ところがさっきTVでやっていたジャン=フランソワ・リシェという監督のリメイク版には、ずらりと有名俳優が揃っていた。その名を私が知っている人たちだけでも、イーサン・ホーク、ゲイブリエル・バーン、ジョン・レグゥイザモ、ブライアン・デネヒー、そして何とローレンス・フィッシュバーン
いうまでもなくフィッシュバーンは、『マトリックス』シリーズのモーフィアス役ですっかり名を売ってからのこのリメイク版への登場であった。実際、このリメイク版で彼の演じたビショップという役は、ジョン・カーペンターのオリジナル版でも非常に重要な位置を占めていた。イーサン・ホークなど他の有名俳優たちが受け継いだ役柄と較べても、いかにもフィッシュバーンならではの存在感が必要と思えるような役柄だった。オリジナル版では、その役は、ナポレオンというニックネームを持つ破格の暴力者で、だが一見そんな暴力者には見えない穏やかな風情、というよりニヒルな寡黙者だった。しかもフィッシュバーン演じるビショップとは違って、その名の通りナポレオンは白人だった。
その役柄を、オリジナル版ではダーウィン・ジョストンという無名俳優が演じていたのだが、端的にいえば、ジョストンは、物語全体の喫水線下の最も枢要な位置を、過不足なくじっくりと務めていた。ところが『マトリックス』シリーズで名を上げ過ぎたフィッシュバーンは、見るからに破格の暴力者然としていて、これといった経歴のないジャン=フランソワ・リシェという監督にしてみれば、とても喫水線下にとどめおくことなどどだい無理な話であったのだろう。つまり、最重量級が物語の喫水線上で暴れれば、どんな事態が招来されることになるか、誰にも予測がつきそうなものを(というのはもちろんあくまでも岡目八目の言ではありますが)。。。
昨今、映画界の物語的イマジネーションが底を突いてしまったのか、リメイク版というのがやたらと作られるようになったみたいだが、私の観た範囲内でいうと、そんなワースト・ワンが、フレッド・ジンネマンの『ジャッカルの日』をリメイクしたマイケル・ケイトン=ジョーンズの『ジャッカル』だ。体脂肪率数パーセントという見事に引き締まっていた体が、50パーセントにも達するかというような、ぶよぶよに肥満したかのごとき印象しか残っていない。
次が、アンドレイ・タルコフスキーによる映画史上屈指の名作『惑星ソラリス』を、あんなにも通俗的にしてしまったスティーヴン・ソダーバーグ(と、彼にこのリメイク版をそそのかしたジョージ・クルーニー)による『ソラリス』。ソダーバーグもクルーニーも、あのオリジナル版に対して、何ごとかの申し立てができるとでも思ってあんなモノを作ったのだろうか。図々しいにもほどがあるというものだ。とりわけ、ナタリア・ボンダルチュク(『戦争と平和』の監督、セルゲイ・ボンダルチュクの娘)の演じた主人公の妻ハリー(リメイク版ではレイア)を、ナターシャ・マッケルホーンという、名前こそロシア系と思われる女優が演じていたが、ハリーの際立つ特性であったヴァルネラビリティvulnerability、攻撃誘発性とか脆弱性と訳されていますが、詳しくは自分で調べて下さい)などとはおよそ無縁そうな、ひどくごつごつとして、まるで『ブレード・ランナー』のレプリカントにこそ似合いそうな女優であった。
さて三番目がこの『アサルト13 要塞警察』。というのがいま急に思いついたリメイク版ワースト・スリー。
揃ってオリジナル版に数倍、数十倍もするような予算をかけて作られたと思うが、これは映画にかかわらず、建築でも、ロー・コストだからこその傑作という名をほしいままにしたような例は枚挙にいとまがない。たとえばコレの後半部。ウソ。)
ところで、最後にナンですが、ジョン・カーペンターの『要塞警察』も、実はハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』のリメイク版だったのです。カーペンターはホークスの熱心な信奉者で、彼の代表作とその名も高い『遊星からの物体X』も、ホークスの『遊星よりの物体X』のリメイク版だったのです。ただ私としては、中学生の頃に観たウルフ・リラという監督の『光る眼』(原題は「 Village of the Dammned(呪われし者たちの村、というような謂い)は、カーペンターによってもリメイクはして欲しくなかった。そっくりな顔をした何人もの金髪碧眼の子供たちが、自分たちに刃向かおうとする者を暗闇の中で突然眼を光らせて殺すという、私の中に強烈に残っていたモノクローム・イメージが、カーペンターによる最新のカラー映像によってぶち壊しになってしまったのだった。




今日のYoutube
ジョン・カーペンター監督の『要塞警察』の名場面集

その1.ブラックコーヒー
なぜこんな変哲もないシーンが名場面なのかと思われる方もいるだろう。コーヒーを入れようとしている女性が、ブラックで?と尋ね、もう三十年以上もそうさ、と黒人警官が答えるその遣り取りの妙味をこの投稿者は気に入ったのだろう。


その2.アイスクリーム売りと少女
この少女には少し残酷なことだが、この映画の怖さすべてが凝縮されているようなシーンだ。オルゴールといい、消音銃といい、鏡といい、ヒチコックの『サイコ』のシャワーと半透明カーテンに匹敵するほど(ちょっと大袈裟)の、小道具の使い方のうまさ。鏡というのは、おそらくほとんどの映画監督(のみならず多くの画家たちや建築家たちも)が魅入られてきた装置であるだろうが、そして多くがその使い方に腐心してきたことだろうが、恐怖感を盛り上げるという効果において、このシーンに匹敵するほどのものを見つけるのは難しいのではないか。


その3.煙草が吸いたいんだが
と話す男性がナポレオン。他の受刑者たちと別の刑務所に護送される途中、急病者が出たために急遽、彼はこの13分署に留置されることになる。ところがこの分署は街の暴力団から相次ぐ襲撃を受けていて、ナポレオンもその攻撃に一緒に立ち向かっていくことになる。これはそんな襲撃が小休止したときの一場面。右の女性も、男性顔負けの沈着でマッチョな働きをする警官。二人の間にそこはかとない思いが交わされるシーン。彼女のライターの使い方がぎこちないのは、右腕を撃たれて負傷しているため。


その4.ポテト
というのは、いわばアメリカ版あっち向いてホイのようなものなのだろう。外からの襲撃をいよいよ防ぎきれなくなり、殺される危険を冒して外部に助けを求めに行く者を決めようとする場面。このシーンが持っているにちがいない微妙な面白さについては、やはり習慣が違うのか、少なくとも私にはよく分からなかった。



アイスクリーム売りのシーンをもっとじっくりと堪能したい人はこれもどうぞ。