再会、再開

この先、どこまで回復するかの目途も立たない娘を抱え、薄氷を踏むような生活が始まってからもうすぐ4年になる。私自身、何とかまともな生活を送るべく、絶えず際どいバランスを保つ努力はしているつもりだが、途切れることなくそうした緊張が続いていると、知らずのうちに弛緩して思わぬ危険地帯に流されそうになることもある。あるいは外的条件による負荷が加わって薄氷がミシミシと音を立てるようなことも往々にして起こる。ここしばらくそんな条件が重なり、負担を軽減しなければとつい本能的に判断し、このブログを閉鎖状態にするという行動に出てしまっていた。
先週の金曜日、名古屋のドケ君が大阪にまで遊びに来てくれた。久しぶりにたっぷりと話し込んだ。何度も書くけれど、どうしてここまでというほど、相当に歳が離れているにもかかわらず彼とは本当によく話が合う。次の日、名古屋に帰る彼と一緒の新幹線に乗り、私は東京に向かった。ドケ君よりもっと若いマツイ夫妻から、NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会という組織の設立一周年記念の会があるから一緒に出ないかと誘われていたのだった。会員でなくとも参加自由であるという。私は午後3時からの立食パーティに参加しただけだったが、マツイ夫妻は前日の夜行バスで着いていて、午前中に上映された『Within the Way Without 〜内なる道を求めて〜』という映画も観たという。とてもいい映画だったらしい。ブラジル人女性、オランダ人男性、そして日本の俳人黛まどかさんの3人の巡礼行を、それぞれの精神的な内面にまで踏み込んで撮影したドキュメンタリー映画だという。いま調べてみると、ナレーションを担当しているのが何とリチャード・アッテンボローだった。『ガンジー』でアカデミー監督賞を受賞した人物だ。だが監督としてよりも俳優としてのアッテンボローが私は大好きだ。弟はB.B.C.の動物もののドキュメンタリーなどでよく知られたデヴィッド・アッテンボロー。だがマツイ夫妻から聞かされて何より驚いたのは、一昨年のカミーノ行で私にしみじみとした印象を残してくれたビトリーノが登場していたということであった。DVDやヴィデオとして製品化されてはいないようだが、何とかして手に入れてみたいと思う。
会が開かれたのは、おそらくカトリックに関係しているからだろうと思うのだが、丹下健三の設計した東京カテドラルだった。実際に見るのは初めてだった。丹下の円熟期に設計されたもので、さすがに力感に溢れた名建築であった。むしろ、微々たる教徒しかいない日本には過ぎたるものだという批判さえあったという。ただ、あれが丹下本人の意向であったのかどうかは分からないが、内部は、そこここに配置された強烈な点光源が邪魔をして、十字架状のスカイライトから光が降り注ぐという荘厳さはあまり感じられなかった。
その夜はマツイ夫妻と渋谷のスペイン料理店を2軒ハシゴした。出てきた料理はどれもスペインで食べたものよりずっと美味しかった。
昨年、東京に転勤したヨネ君(マツイ夫妻よりさらに若い)が、今日、大阪に出張で帰ってくることになっていて、10時過ぎからの会議に出ることになっているという。朝一番の新幹線に乗れば9時過ぎには大阪市内に着けるから1時間ぐらいは時間が取れそうだというので、彼の会社のそばの喫茶店で落ち合った。このところ、また1日の間に不眠症と過眠症が両方やってきていて、明るくなってからようやく眠りにつけるというような状況になっていた。だからそのまま眠らずに彼と会った。1時間あまり止めどなく喋り続けた。現在の私の状況をいろいろと心配してくれていて、親身になってアドヴァイスなどもしてくれた。ドケ君といい、マツイ夫妻といい、ヨネ君といい、どれほど若い人たちから助けてもらっていることだろう。今日、久しぶりにこのブログを再開する気分になったのも、間違いなく彼らのおかげだ。


今日のYoutube
Keith Jarret  「Danny Boy」

お気づきの方もおられるかもしれないが、先日、イギリス民謡の透明感溢れる美しさについて述べたり少し考えたりしていたこともあったので、このシリーズをしばらく続けてみようと思う。だからその代表的なこの曲をもう一度。誰が決めたことなのか知らないが、これが世界で一番美しいメロディであると聞いたことがある。本当は日本のジャズ・ピアニストの木住野佳子(きしのよしこ)さんの演奏が私は大好きなのだが、残念ながらYoutubeにはなかった。何の衒いもなく実に恬淡として、この上なく美しい演奏だ。それに較べればこのキース・ジャレットは少し余計なことをし過ぎではないかと私は思う。いかなる衒いも拒絶する美の力が、この曲にはあると思う。


Chanticleer   「Loch Lomond

lochというのは現代英語におけるlakeのこと。すなわちローモンド湖の自然美を謳ったスコットランドの民謡。因みにこの曲の日本語のタイトルは「五番街のマリー」(ウソ)。


Kenny G   「Auld Lang Syne」

別にこれで皆さんとお別れというわけではない。一般的にこの曲がかけられる場面の事情や条件がまず頭に思い浮かび、つい見過ごされがちになってしまっていると思うのだが、このメロディの美しさはいったいどういうことなのか、そしてこれを演奏するKenny Gが抱いているであろう心象風景の、これぞ明鏡止水とでもいうべき穏やかな静謐はいったいどういうことなのだ。