豊穣な、無垢のとき

前回のエントリーの続きは次に回し、今日はこのブログでは3度目の合同援農について。


私が経験した限りでは今までで最大の人数であった。下は5歳くらいから上はおそらく70代半ばまで、昨年の12月16日に植え付けたタマネギの収穫を行った。あのときはぽかぽかとした小春日和が有難かったが、今日は気温も幾分低めの薄曇り、ときおり涼しい風も吹き、野良仕事にはこれ以上ないという条件であった。昨冬に植え付けたのはすでに数十センチに育った苗だったので、1個のタマネギが育つにもたっぷり半年以上の時間が必要だったというわけだ。





朝七時過ぎ、改築なったいこい食堂に釜ヶ崎の人たちが集まり始めた。YMCAのOBや同志社大神学部の学生など若者も数名加わり、合計20名が釜ヶ崎から出発した。





前日から泊まり込んでいたチェ牧師やカワノさんらによって、こんなにも見事な準備がされていた。ちょっとした抽象画のようだ。一昨年、スペインの原野を歩いたときも、美しく耕された小麦畑を見てパウル・クレーを思い出したが、おそらく人間の作業というものは、丹念になればなるほど、そこには抽象性を帯びた局面が露わになっていくものなのだろう。





先に到着した組で早速作業を開始する。葉の部分がきれいに刈り込まれたタマネギを、まず土の中から掘り起こす作業をする。片手では困難なほど強く髭根を張ったものも多い。心なしか今年は縦長タイプのものが多いような気がする。
黙々と作業を続けながらも、みんな、決定的なものが欠けていると思っている。





と、やっとそこに主役たちがやってきた。





辺り一帯に、眼に見えるように漲る活気。それに惹かれてこんなところにまで舞い降りてきたヒバリ、隣のキャベツ畑で乱舞するモンシロチョウ。
掘り起こしたタマネギの髭根をハサミで切る作業をする人たち。





午前の作業も順調に進み、お昼ご飯はいつもの通り、いつ食べても美味しいここのカレー、サラダ。





午前中は曇っていたが、午後からは日も差し始めた。
せんせー、めっちゃつかれるけどめっちゃたのしー
日常の煩瑣な事柄や鬱陶しい人間関係などで心悩ませているということに関しては、この子供たちも他の大人たちと変わるところはないだろう。だがいまこの場にいる全員が、たとえ一時的なものであるにせよ、そうした悩ましさから解放されて至福の時のなかにいる。





アイスの差し入れよーというかけ声に電気的に反応した子供たちが、まるでアリのようにそのまわりに群がっていく。





と思ったら、大アリも群がり始めた。
私もスイカバーというアイスを頂いた。こんなに美味しい食べ物があったのかというほど美味しかった。タネのようなものまで入っていて、その歯ごたえがたまらなかった。








午後からも援軍が何組か加わり、最終的には総勢で70名ぐらいになった。ただ中高生は一人もいなかった(と思う)。ということは、今日ここにいる子供たちもいつかは来なくなるのかもしれないが、数年すればまた戻ってくることになるだろうということだ、うん。それは、自分で植え付けた作物を自分で収穫し、どこかの見知らぬ人がそれを食べる、そうしたことの意味を理解したときに彼らはまたここに戻ってくるのだろう。
日が照るとタマネギは黄金色になる。





今日のお土産はタマネギの詰め放題。





午後から加わったゴーキュー会(59会?)というグループの若者たち。大阪のキタを中心にしていろんな活動をしているという。彼らが加わったことによって力仕事は一挙に楽になった。





美少女!三人組。





いつもダンディなバンちゃん。腰のベルトにドラえもんの人形をぶら下げている。もう次の梅干し漬けの合同援農が楽しみで仕方がないようで、そのことばかり話している。だが楽しみにしているのはなにもバンちゃんだけではない。





紀ノ川の河川敷。木々や草花がとても豊かに生い茂っている。ここに来ていつも少し驚かされるのは、子供の頃以来久しく見なかった雑草類を何十年ぶりかで眼にすると、それらにまつわる記憶が実に鮮明に蘇ってくるといういうことだ。当時の子供たちにとっては、雑草類も遊びの手段に自在に変化するものであった。だが私の育った場所と地理的に少し離れているからなのか、よく観察すると、そういえばあの草もない、この草もない、こんなものはあの頃はなかった、というような思いも必ずついてまわる。たぶん、地球温暖化という流行りのトピックだけによるのでなく、自然というものは絶えず穏やかに変化し続けているものなのだろう。と私は思う。








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