いつか見た風景、どこにもない場所(1)

このところ新しい部屋のセッティングや本棚作りに余念がなく、更新が滞ったままになっている。いつまでも放っておくと、ただでさえ数少ない読者の方々に忘れられてしまうといささか焦り気味になってきた。そこで、写真もなく、拙速な内容のものではあるが、こんなもので急場を凌いでおくことにする。

リンクをいくつかと註を一つ追記しました。(5月28日、0時37分)



私のどこが間違っているというのか。
こんな言葉が発せられるとき、私たちはまず例外なくそれを開き直りの態度表明として受け取る。What's wrong with me、英語に直訳するとこんなものになるが、ところが途端にここからは開き直りのニュアンスは消え、自分の誤ちを教えて欲しいという本来の意味合いとしてのみ私たちは受け取りがちになる。
一つの言葉でも、大概の場合、微妙なニュアンスが重なり合い、文脈によってある意味が支配的になる場合もあれば別の意味が表面化することもあり、ときにはどっちつかずというようなことも往々にしてある。そうした言葉も外国語に翻訳されると、当然、私たちは隠れたニュアンスなどを読み取ることはできなくなる。
こうした言葉の多義性を巧みに駆使する能力を持つ人が小説などを書くと、優れた作家といわれる。その代表格がシェークスピアだ。三国人という言葉は字義通り第三国の人間という意味だなどと主張したしたあの人物など、もちろん作家としては論外だ。

ざっと以上のような内容に相当することを、私は、大学院に入った年の最初のゼミで学んだ。といってももちろんそれは建築を通してであった。ちょうどその4年前の1966年、アメリカのロバート・ヴェンチューリという建築家が『Complexity and Contradiction in Architecture』という理論書を出し、世界中がその影響を受けようとしていた頃であった。日本でもすぐに『建築の複合と対立』という訳名で翻訳が出されたが、むしろその無茶苦茶さが評判になるほどの誤訳だらけで、だから私たちは難解な理論を難解な原文で読まされるという羽目になった。しかも私の研究室の教授向井正也は、このヴェンチューリの理論の基礎となっている思考、すなわち当時徐々に諸分野でも語られつつあったマニエリスム的思考を、建築の世界で最も早くから研究していた人物であった。だからそのゼミには、卒業生や、いずれ日本のポスト・モダンの嚆矢となるべき若き日の毛綱モン太や渡辺豊和なども加わる盛況ぶりであった。

ヴェンチューリは建築を意味の体系として捉え、建築を構成する各部位それぞれの意味とそれらの重なり具合や分裂の度合いを分析し、その成果を自らの設計作業に再応用しようとしていた。黒か白のどちらか一方ではなく、黒と白の両方、もしくは灰色。これが最も端的に表現されたヴェンチューリマニフェストであった。20世紀三大巨匠のひとりといわれたミース・ファン・デア・ローエのあまりにも有名なドグマ、<Less is more(より少ないことはより豊富である)>を、ヴェンチューリは<Less is bore(より少ないことは退屈だ)(※1)>とこき下ろした。

ヴェンチューリは自分の理論の構成を七章立てにした。建築における意味の複合と対立を七つのタイプに分けて分析したのである。いうまでもなく、と一部の人たちにとってはそうなるのだろうが、これはイギリスの高名な文芸理論家ウィリアム・エンプソンの『曖昧の七つの型(Seven Types of Ambiguity )』をその理論叙述の範としたものである。曖昧さ、複雑さ、意味の多重性等がいかに文学の豊穣さの基本となっているかということを分析した、20世紀初頭における文芸理論の一大名著である。とはいえ曖昧という概念自体が曖昧だなどと言い出す者まで現れるほどに、曖昧(ambiguity、実際には両義性という訳の方が近い)という概念をしっかりと把握しないかぎり、理解することがとても困難な理論だ。
同様にヴェンチューリの<黒と白の両方、もしくは灰色>も、この言葉の表層だけに捕らわれている限り到底その真の意味を理解することはできないだろう。そしてほとんどの人たちはここで躓いてしまったと私は思う。むしろ灰色という言葉をヴェンチューリは用いない方がよかったのではないか。これでは灰色という1個の独立した色のようにみなされてしまう。<黒と白の両方>といういい方も、黒と白が別個に並列されているという状態を指すのではなく、1個の対象の中に黒と白がそれぞれ黒と白のままで同時存在する、という言い方の方がより近い。このことを把握してかからないと、彼の建築も訳の分からないものとなる。だが、新しい時代の幕が開かれるように画期的な理論でもってヴェンチューリは登場したと、アメリカの建築史家ヴィンセント・スカリーは讃えたが、その登場の華々しさとは裏腹にやがて彼は静かに表舞台から姿を消すことになる。その難解で、しかもオーディナリーでアグリーな表現を旨とする(といってもここに実に韜晦で逆説的な彼の美学がある)ヴェンチューリを、建築的大衆が理解し支持するはずもなかったのだ。表舞台から潔く退場した(と私には思える)ヴェンチューリに較べると、ほぼ同じ頃、世界の建築界にデビューしたと言っていい日本の磯崎新はといえば、いつまでも新しい思潮を追ってはその波頭に往生際悪くしがみつこうとしているように私には見える。そもそも最も初期にヴェンチューリ(だけではないが)を日本に紹介した当人が磯崎であったのだが。
なおこれは余談だが、私の二人の娘は大学の英文科を出ていて、どちらにも卒論にエンプソンの『曖昧の七つの型』を採用するよう薦めのだが、難しすぎるとにべもなく逃げられた。




私の二人の娘は逃げたが、ニコラス・アーフェは逃げなかった。
と、やっと長い前置きを終えて、さてこれからが本文である。しかもアーフェを翻弄する娘は、二人で一人なのか一人で二人なのかも判然としない。
2年ほど前、私は念願だったある映画のDVDを手に入れた。その原作が出版されてすぐに映画化されていたことを私は知っていた。その映画にマイケル・ケインアンソニー・クインキャンディス・バーゲンアンナ・カリーナなどが出ていたことも私は知っていた。だが、ただ知っていただけでそのときは特に私の興味を惹くものではなかった。
ところがそれから数年後、つまり私がヴェンチューリの理論を学んでいた頃、文学好きな後輩が、とても面白いからと一冊の本を私に貸してくれた。ジョン・ファウルズという作者の『魔術師』という小説だった。非常に面白かった。当時、私が人並みに馴染んでいた大江健三觔や安部公房などの日本の現代文学、あるいはアラン・ロブ・グリエ、ミシェル・ビュトールル・クレジオといった七面倒くさいフランスのヌーヴォー・ロマンなどとも違って、本当に面白かった。日本ではいまだにその区別がしばしば言挙げされる純文学と大衆文学、そのどちらでもなく、またどちらでもあるというような小説だった。スティーヴン・キングのいささか大衆寄りに傾き過ぎたテーマをもっと純文学寄りに、そして語り口をキングよりいま少し陰影深く、といった調子の小説であった。特に、マイケル・ケイン演じる主人公のイギリス青年ニコラス・アーフェの前に常に単独でしか現れないキャンディス・バーゲン演じる謎めいた娘が、ひとりで双子の女性を演じているのか、双子がひとりの女性を演じているのか、ついに最後まで明かされないなどというプロットは実に新鮮だった。
当然、映画も観たくなった。本を貸してくれた後輩に、これは映画化されているからそのうちにどこかで上映されるかもしれないなどと話しながら私たちはその機会を待ち続けた。だが待てど暮らせどそれはやってこなかった。実際、映画は日本では公開されていなかった。
やがて世はヴィデオの時代となり、いつしかそんな映画のことも私はすっかり忘れてしまっていた。もちろんレンタル・ショップに行っても特に『魔術師』というタイトルに眼を凝らすというようなこともなかった。
ところがそれから間もなくインターネットの時代がやってきた。その普及のスピードは凄まじく、それまでは入手困難だった映画や書籍も、たちまち好きなように検索しては手に入れることができるようになった。たまに思い出したように私は邦題の『魔術師』、あるいは原題の『The Magus』というタイトルで検索をかけてみることもあった。ところが検索にかかるのは小説だけで、映画は一度も現れなかった。ヴィデオ化さえされていないようだった。出演陣の豪華さを思うと私は不思議でならなかった。しかも作者のジョン・ファウルズは、『魔術師』より先に映画化されて大いに話題となっていたウィリアム・ワイラーの『コレクター』の原作者でもある。なぜ『魔術師』という映画を観ることができないのか私にとっては大きな謎であった。
ところがヴィデオの時代も去った一昨年、久しぶりに検索をかけてみると、なんとその数ヶ月前についに本国のイギリスでDVDが発売されていた。DVDは一週間ほどで私の許に届いた。
さて。誠に呆気なくも謎は解けた。

私だって30年以上も待ち続けた映画である。しかもわざわざイギリスから取り寄せたDVDである。そんなに簡単に放棄する訳にはいかない。
だがいつも途中でたまらなくなる。この映画を見続けることに何か疚しさ、後ろめたさのようなものを感じ、あるいは恥ずかしく、背中がむず痒くなってくる。そんな気分にさせられたのは別にこの映画だけという訳ではないが、これは別格であった。格別にひしひしと、そのような感慨が、全身を襲ってくるのだった!
『道』のザンパノ、『ノートルダムのせむし男(※2)』のカジモド、『その男ゾルバ』、『ナヴァロンの要塞』の大佐、『アラビアのロレンス』のアラブの族長、そして『日曜日には鼠を殺せ』のフランコ軍の将軍。何よりこの映画で耐え難いのは、こうした見事に一貫して粗野(ときに野卑?)で男臭い役ばかりを演じてきたアンソニー・クインが、こともあろうに深甚な哲学的思考と膨大な美術史的教養の持ち主にして、オクスフォード出のマイケル・ケインを手玉に取るレトリックの使い手、という役を熱演しているところを観させられるということであった。アンソニー・ホプキンズやメリル・ストリープのように、どんな役も変幻自在にこなし、その多彩な演技を楽しむことのできる俳優もいれば、鋳型にはまったようなキャラクターばかりを演じ、そのことによって映画にある種の錘鉛のような働きを果たす俳優もいる。アンソニー・クインはいうまでもなく後者を代表するような俳優だ。どちらが優れているかという話しではない。それぞれの俳優がそれぞれのタイプを持っているということだ。それをこともあろうに・・・、といった感慨がとにかくついて回るのである。



自分がいままでに出た中で最悪の映画。撮影現場に全体を把握している者が一人もいなかった。(マイケル・ケイン
自分の人生をもう一度そっくりそのまま繰り返せといわれても私は構わないが、『The Magus』をもう一度観させられることだけは御免だ。(ウディ・アレン

ウディ・アレンをしてかく言わしめたのは、きっと自分が映画化したかった気持ちの裏返しなのだろう、と私は邪推している。それほどに魅力的な原作であった。ジョン・ファウルズの原作で映画化されたものは他にもメリル・ストリープ主演の『フランス軍中尉の女』などもあり、しかもこの映画の脚本は、後にノーベル文学賞を受賞することになるハロルド・ピンター(※3)が書いていたりする。私は何となくファウルズもノーベル賞を獲るのではないかと無責任に思ったりもしていたのだが、05年に彼は死去してしまった。(続く)


※1 ヴェンチューリと同時代の建築家で作風も似かよったところがあったが、ヴェンチューリほど厳格でも禁欲的でもなかったチャールズ・ムーアを指して、<Mess is Moor(ムーアははちゃめちゃだ)>というのもあった。

※2 公開当時は確かにこのタイトルだった。

※3 ハロルド・ピンターバイオグラフィーを調べていると、『さらばベルリンの灯』など私には思いで深い映画のシナリオも手がけていた。またローレンス・オリヴィエマイケル・ケインのたった二人しか登場しなかった『探偵スルース』(1972、J.F.マンキーウィッツ監督)のリメイク版(2007、ケネス・ブラナー監督)のシナリオも、ピンターの手によるものであった。オリジナル版では、ローレンス・オリヴィエマイケル・ケインの老若二人の名優が凄い演技合戦を繰り広げ、最後にはケインがオリヴィエをあっといわせるシーンが見物であったが、リメイク版では今度はマイケル・ケインが老優として、若い方はジュード・ロウがやっているらしい。




今日のYoutube
Dionne Warwick  「Alfee

マイケル・ケインの出た映画といえば何といってもこれだろう。3Bに加えて4Bとまでいわれたバート・バカラックの底力を感じさせる名曲であると私は思う。