鬼魂楼再訪

なんという謙譲と犠牲の精神に溢れ、奥ゆかしくも控えめな私なのだろう。
一昨日の日記で私は自分のことをホモ・ファーベルとカテゴライズし、その証しをここでお見せした。ない知恵とセンスを絞り出し、子供の頃から我流で培ってきた手技を駆使しながら懸命に作業して、その結果をここで披露させていただいた。おずおずと差し出すようなふりをしながら、実は得意満面であったくせにと意地悪な見方をされた方もおられるかもしれない。だがそれは間違っている。本当に私は最初の行に書いたような美徳に満ちあふれた人間なのだ。
自ら私は露払いの役を買って出た。いや露払いなどさえおこがましい。
いったい、この人をどう紹介しようか。確かに有翼光輪の王者にして智恵ある神アフラ・マツダに、私よりは遥かに近いところに彼はいる。













その趣旨は、近所の子供たちを怖がらせること。はにかみを含んだ微笑を湛えながら、だが揺るぎない信念をもって、マツダさんはそういった。
子供たちにしてみれば、彼は光の神ではなく闇の魔王だ。日々、竦(すく)んで脅えてその前を通るとき、心の中で闇の魔王に悪態をつき、だが巨大な好奇の一瞥をさり気なく振り向けずにはいられない。きっとそうしているにちがいない。ほかの子供たちと、いつかあの中に入ってみようとたくらんでいるにちがいない。その子供たちに激しく嫉妬する小学生のころの私。






タクシーの運転手をしていた頃、街なかで建設現場を見つけては工事の仕方や手順をじっと観察していた。その頃から、変わった木の根っこなどを見つけては趣くままにいろんな形に彫っていた。出来上がったものは小学校などに寄付していた。

(ここまでいくと、もはやホモ・ファーベルなどといった手技的スケールからは大きくはみ出ている。)






この場所に移り住み、年金生活が始まると同時に工事に着手した。たちまち愛想を尽かされて家族に逃げられた。
いまは娘さんがたまに訪れて身の回りの世話をしてくれるという。
ずっと工事を続けたいが資金がなく、年金が貯まるのを待っては次の資材を購入する。手伝う者が誰もなく、すべて自分ひとりでやった。

(まずコンクリートで普通の躯体を造り、その上に、思うがままの造形を施していくという手順なのだろう。にしても、どの方角を見ても刮目せずにはいられない<それらしさ>と、それを実現しようとしてコンクリートに込められた執念、建築への欲望。)






最初は丸めた新聞紙、次はいろんなものを詰め込んだゴミ袋を型枠にした。





初めて訪れたとき、マツダさんは不在だった。手土産と名刺を玄関前に置き、勝手に中に入り、くまなく歩き回った。





単なるどろどろと不気味なものだけを作ろうとしたのでないことはすぐに分かった。自然の造形を模したように見せて、明らかにそこには抽象化の意図もくっきりと刻まれていた。予想していたようなただものではなかった。変骨漢の人物像が予想された。





私たちが何の疑念もなく奉じている建築の一般的な規範がことごとく無視され、こうだと私たちが思っている入り口も窓も床も壁も天井も何もなかった。にもかかわらずそれは建築以外の何ものでもなかった。まわりのどんな建築よりもそれは強く、野太く、深く遠い建築であった。





すぐにマツダさんから、不在を詫び、またいつでも訪問するようにとの電話があった。

(とりわけ、この上からぶら下がった形態の内側がえぐられたようになっていること。ここにこの異様な物体が持つ意味すべてが凝縮されているように私は思う。単なる物体ではない、その内側にれっきとした空間を抱えた<建築>を、彼は造ろうとしている。)





再訪すると、私が置いていった手土産へのお返しを用意してマツダさんは待っていた。
これまでのいきさつと、この先工事をどういう風に進めていこうとしているのか、手振りを交えて話してくれた。ひとりではとても無理なことだと私は思った。

(このコンクリートのかたまりの中ほど、穴の向こうを人が移動しているのがお分かりだろうか。こんなところにも、どんな建築にも不可避的、かつ、いかようにも編集可能な劇性、物語性といったものが、さり気なくも効果的に意図されている。)







この近くの大学に奉職する知人に連絡し、夏休みに学生たちに手伝わせてはどうかと相談した。その知人がこれを知らなかったことが私には驚きだった。





高速道路が大渋滞を起こしたこの5月2日、ちょうど4年ぶりに再訪した。突然現れた私を見て、その後連絡がなくなったのでどうしているのか気になっていたとマツダさんはいった。あの直後、私の娘が深夜の東京で交通事故に遭い、それどころではなかった旨を告げた。タクシーにはねられたとは言えなかった。

(新しい躯体。この上にこれから思い通りの脚色が加えられていくのだろう。天井面からU字型の鉄筋が沢山はみ出ているのは、これから付加されていくコンクリートの落下を防ぐためのもの。およそ建築というものには、どんなにそれとは無縁のもののように見えても、必ず理知というものは働いている。それがなければ建築は成立しない。)






いままでは古くなった家の中に雨が漏っていたけれど、これができて大丈夫になりました。面白そうに笑いながらマツダさんは言った。木造の屋根を圧し潰すかのようにコンクリートの荒々しい構造体が覆い被さっていた。ひとりでは到底無理だと思っていたことが実現されていた。いずれ彼の住まいは鬼魂楼に喰い潰されてしまう他はない。自らの作業に向けた恐るべき覚悟と信念。





(新しい躯体の上に、これまでのものにはなかった造形理念が垣間見える。本人が意図したものかそうでないのかは分からないが、なにやらギリシャ的オーダーのようなものが仄見える。)






どうぞ自由にご覧になっていって下さい、お帰りになるときも声をかけて頂かなくて結構ですからと言ってマツダさんは中に入った。その日、娘さん夫婦が孫を連れて遊びに来ていた。

(これは4年前の写真。その後もすべてひとりでやってのけたのだ。)





(すぐそばの水路。ゴミが捨てられて荒れ放題であったが、おそらくマツダさんのヴィジョンがその状況と著しい齟齬をきたしていたのだろう。彼が個人で整備した。)






おそらくもう70代半ばにはなるであろうこの小柄な老人のどこに、このような意志が隠されているのだろう。彼のあらゆる骨、あらゆる肉、あらゆる血、あらゆる器官が、建築を目指している。

(鬼魂楼はもちろん私が勝手に付けた名だ。オニコンロウと読んでいただきたい。鬼はその通り、魂はコンクリートの含意を持たせている。鬼魂館の方が響きはいいが、館というイメージではない。)





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