うつらうつら

オークランドシドニー、香港と慌ただしく移動する旅行から帰国して以来、かなり変則的な意識状態の中を私はさ迷っていた。自分で自分のことが分かっていないということの度合いに関しては、他の人とさして変わる訳ではないだろうと私は思っていた。
以前にも書いたように、オークランドに向かう前から、私はひどい睡眠不足の状態にあった。旅の間じゅうも、どんなに疲れ果てていても、日に3時間ほどしか眠れなかった。いくら長時間かかる海外旅行でも、いまだかつて私は飛行機の中で一瞬たりとも眠れた試しはなく、だからむろん今回の旅で延べ30数時間ほどあった機内でも、ずっと眠いままに眠れないというような状態が続いた。
ところが3月4日に帰国してから、人が変わったように私は眠る人となっていた。
人間にとって、一般的に覚醒時が常態、睡眠はその常態を維持するための補遺の時間であるとするならば、その関係がすっかり逆転した生活――そんな過ごし方をも生活というとしての話だが――の中に私は入り込んでいた。
突飛もない喩えになってしまうかもしれないが、宇宙全体を考えたとき、太陽という恒星に照らされた地球の日中のような状態というのはむしろ極めて例外的なあり方で、ほとんどの部分は漆黒の闇の中だ。そしてまさしく私は、ここしばらく、あたかも太陽系外に放逐されたように睡眠の闇の中をさ迷い続けていた。

3月半ば、しばらく遠ざかっていた神経内科医を受診した。鬱が進行するとそのような過眠の症状が現れてくることがあるのです、勝手に判断して薬を飲むのをやめるのはよくありません、過眠を防止するお薬を増やしてみましょう。
何のことはない。目覚めてもベッドから出る気力がまったく起きず、軽い食事とトイレ以外、ずっとベッドでうつらうつらする日々を私は過ごしていた。漆黒の深宇宙をさ迷っていたなど、滅相もない時間の過ごし方を私はしていたのだった。

新しい薬は効果覿面だった。また不眠症が戻ってきた。にしても一向に気力が回復する気配はない。相変わらず一日のほとんどをベッドの上で過ごす日が続いた。よほど差し迫ったものでない限り、大抵の用件は日延べして貰うか、キャンセルするという、これまでの私にはなかった振る舞いに出るようになっていた。気晴らしのためと気を遣ってくれる友人たちの誘いもほとんど受け入れることができなくなっていた。
落ち込みはいよいよ深く、気力は一層失せ、だがそれと反比例するかのように自己を呵む気分だけが膨れ上がり続けた。さりながら、いささか滑稽で、いやもしかすれば半ば狂的なことのように映るのかもしれないが、目覚めては次のまどろみまでの間、ノートパソコンでネットを渡り歩くというようなことを私は続けていた。

そんな中、鬱だからといって働かなくてすむような人は恵まれているという文章に出くわし、なおさら心に突き刺さった。
私よりずっと重度の鬱を患った経験のある古い友人に、すがるように電話をした。毎日何もしない(できない)生活を続けているのに、人並みに食事をすることがひどく疚しいことのように感じる日々であったと彼は話した。
またあるサイトである神経科医が、鬱というのは克服しなければならないものと考えてはいけない、何もしない(できない)ことに疚しさなどを感じてはいけない、じっくりと鬱を堪能しなさい、などと述べていた。受診している神経科医にそのことを話すと、その通りですといった。

やがてこうして漸く、十全ではないにせよ、私は動けるようになってきた。




非常に話の合う友人と、人間の意識、とりわけ夢や金縛りといった現象について、延べ20年以上にもわたって対話し続けた経験を私は持っている。フロイトユングも、おそらく金縛り(イヤな言葉だが)の経験がないのではないか、もし経験していればそれについて研究していないはずはない、つまり、人間の意識というものを考える上では、夢よりも金縛りの方が遙かに示唆に富んだ興味深いものを多く持っている、というのが常に二人の一致した意見であった。
人間の意識というのは雲母のような層状を成していて、その層は、その個人の誕生(受胎?)以降積み重ねた睡眠の数だけあるという考えを私たちは持つようになった。つまりひと眠りする毎に一枚ずつ層が増えていく。イメージしやすいように雲母を地層と言い換えてもいい。夢とは、層と層の間の界面の緊張状態が解け、思考や想像が層間を自在に行き来する状態を指し、金縛りは、睡眠から醒めかけた(もしくは入眠しかけた)とき、半緊張状態になった界面と界面の狭間でひっかっかった状態を指す、というのが目下の私たちの仮説である。
つまり何がいいたいのかといえば、日常的自我はひどく落ち込んで不活性なものになっているにもかかわらず、それを責め呵むもう一つの自我は活性を失わないままであり続け、二つの自我の間に明らかな断層を生じるのが鬱という症状なのだろう。などと、鬱のさなかにあるにもかかわらず、そのどちらでもない第三の自我で私は考え続けていた。自分の自我がこんなに幾重にも分化していることを明瞭に自覚するという、ある意味で貴重な経験を私はしていたのであり、今なおしつつある。
私の鬱なんて所詮そんなものである。






いこい食堂のリフォーム(というよりほとんど補強工事)だけは、どうしても避けることのできない仕事であった。毎日、数百人分の炊き出し用の料理をここでやっている。がたがたの床、躓きそうな段差、落ちかかった棚、やたらと多い出っ張り、単なる物入れとして使用されている業務用の壊れた冷蔵庫、傾いた壁、落ちかかった天井、明らかにもうすぐ開かなくなる入り口のサッシ。それらのあわいにさまざまな種類のものが溢れかえっている。ネズミやイタチが我が物顔に振る舞っていると、メカタさんやゴウダさんが驚くようなことをいう。





元は、故金井愛明牧師が始めた格安の食堂であった。建てられてからおそらく50年ほどにはなるだろう。だが、一般的な木造建築の築50年とは訳が違っていた。





どれほどの誤差を許容すれば、この建物の各部を水平、垂直と見なすことができるのだろう。向かって右手の壁は外壁(隣家と密着している)、左手は一戸の建物を真ん中で一直線に二分する壁。右壁は、内側の仕上げをはがすと土壁がなだれ落ちてきそうなので、その上から補強を行い、新しい仕上げを施すことにする。左手の仕上げをはがすと、一間半の柱間に間柱が一本も入っていないところもあった。基礎のコンクリートが宙に浮いている箇所も。





こんな厄介そうな水関係は、いつもにこにこ飄々としているタクミさんのお手の物だ。





チェ牧師。





両隣の建物と持ちつ持たれつの関係で踏ん張っている。これで阪神大震災も生き延びた。





工事開始5日目。少し狭くなるがやむを得ない。これで両側の建物も当分は安泰だ。モリカワさんはやたらと張り切っている。



今日のYoutube
Peggy Lee 「Black Coffee」