2月27日 終日オークランド

かつて、アメリカの原子力潜水艦の寄港を率先して拒んだデヴィッド・ロンギという人物が首相を務めていたということと、妹が移り住んだという以外、ニュージーランドという国についてさしたる関心も私は持っていなかった。誰もが有している予備知識以上のものはなかった。
ただ、ある出来事に関して、もしかしたら世界の主要国の中でほとんど唯一の例外事項を持つ国ではなかったかとも密かに私は考えていた。実際にこの国に来てまで確かめなければならないことでもなかったが、着いた日の翌日、妹夫妻と話していて、やはりそうであったかと妙に納得した。
いま、ウィキペディアで調べてみると、現地時間の午前8時46分にそれは起こった。私が気付いたのは日本時間で23時を少し過ぎた頃であった。だから2時間の時差があるニュージーランドでは、日付上、疾うに翌日になっていた。真夜中であったが妹はTVを観ていたらしく、旦那はもう眠っていたと言った。
2001年9月11日、最初の旅客機がニューヨークのワールド・トレード・センターに激突した瞬間、太平洋上のごく小さないくつかの島嶼国を除けば、ニュージーランドは世界で唯一、すでに9月12日になっていた国であった。あの瞬間、サマータイムを採用していたニューヨークで午前8時46分、日本では22時46分。オーストラリアやニュージーランドが北半球にあったとすれば、サマータイムを採用しているシドニーオークランドもすでに0時を越えていたことになる。だが9月初旬は南半球ではまだ冬の真っ盛り。だから、オークランドと1時間の時差があるシドニーは、あの瞬間はまだ9月11日であった。ハワイは午前3時46分であったが、それは日付変更線以東、つまり9月11日になり立ての深更の中のことであった。
どういう人物なり組織なり、あるいは国家なりが起こそうと、あの事件が途方もなく入念な準備を経て挙行されたものであったことを疑う者はいないだろう。
だが、そのことについて取り沙汰するのもばかばかしいほどに当然のことだと考えられているからなのか、あるいは単なる偶然の一致にすぎないとすべての人によって暗黙裡に処理されていたからなのか。いずれにせよ、北米大陸で広く緊急通報用電話番号(日本でいえば110と119の両方を兼ねたもの)として用いられている数列の日にあの事件は起きた。可能な限りの世界中の耳目が集まることまでも予定に入れて決行されたのであろうあの瞬間。
西洋文明の主導によるグローバライゼーションなるものの完成を世界中にこれ見よがしに知らしめるため。あるいはそれに対する第三世界からの強烈な異議申し立て。事件を起こした者がどちらの側に立つ者であったとしても、21世紀最初の911という数字が並ぶ日の、あの時刻でなければあり得なかった皮肉な意味があの出来事には込められていた。と、私は考えている。





オークランドを、ということは、ニュージーランドという国を代表する都市景観。妹はどうしてもこの風景を私に見せたかったらしく、この景観が得られるハーバー・ブリッジにまでわざわざ車で案内してくれた。絵に描いたような風景を予定して建てられたとおぼしき塔を、絵に描いたような構図に納めた写真。





オークランドの、シティと呼ばれる地区に住んでいるのはほんの30万人ほどらしいのだが、昨今の世界中の都市がそうであるように、こんな小国の首都にもスカイスクレーパーは櫛比する。だが湾内の風景は西洋文明直系の都市ならではのもの。少なくともこの数十倍の人口と経済規模を誇る日本の首都であろうと、その湾内にこれに相当するような光景が見られることなどあり得ない。





これが海なのかと驚くほど静かな入江が多い中で、こんなところもある。だがどちらにも共通しているのは、潮の匂いがまったくしないということ。理由は分からないが、したがって海辺の建物でも潮による痛みはほとんどないという。





数年前に建てられたウォーター・フロントの商業施設。2,30年ほど前にアメリカで流行した建築のスタイルと似ている。平日の昼過ぎであったためか、閑散としていた。





かつてマオリの聖地であった丘からオークランドの市街を見渡す。こんな丘陵地がオークランドにいくつもあり、今はドメインと呼ばれて公園のように整備されている。





巨大な霜柱を連想させる樹木群。





植生は亜熱帯を想わせるが、短い夏が終わるとずっと薄ら寒い季節が続くという。とはいえ雪が降ったり氷が張ったりするというほどでもないらしい。同じような緯度に位置する同じような島国でありながら、季節や自然のあり方は日本とは随分と異なっている。ほとんどの生物が固有種と思われる。






もみの木よりももっとクリスマス・ツリーに似合いそうなアメリカン・パイン。真夏のクリスマスにはいまだに慣れることができないと妹は言う。





マオリの聖地に建てられていた建物。否が応でも縄文文化との類同姓のようなものを感じてしまうが、迂闊なことは言えない。(マオリ文化の博物館にて。)





かつてのマオリの聖地。(同)
ついここでも沖縄のうたき(御嶽)を連想してしまう。
同時多発テロなどという、西洋文明が行き着いたある種煉獄のような地点から図らずも除外されてしまう条件にこの国はあった。見果てぬ夢であることは知りつつも、少なくともこの国だけは実際にもそんな場所であり続けてくれることを私は祈らずにはいられない。




今日のYoutube
Astrud Gilberto 「The shadow of your smile」