黒い雨、どこにもない場所(1)

リチャード・ロジャーズとくればオスカー・ハマースタイン・ジュニア(※1)、ではなくて。と、彼を紹介するのにそれぐらいのウィットを込めて当然のことだと私は思っていた。ところが司会者たちはおろか、そこに出席していた100名の若き建築家たちも、ほぼ全員が何らかの発言をしたにもかかわらず、誰ひとりとしてそんな洒落の利いたことを口にする者はいなかった。私のような俗っぽい知識など持つ人たちではなかった。
自分でこんなことを書くのはとても気がひけるが、その会場には、日本全国から、戦後生まれという条件で選り抜かれた建築家たちが集まっていた(もちろんそのほとんどは東京の人たちであったが)。みんな絵に描いたようなエリートたちばかりだった。数人で組まれた司会者群の中には、現代音楽の超有名作曲家のご子息にして旧華族の末裔、東大で最優秀卒業設計をした者に与えられる銀時計(辰野賞)を獲得した後、エールの大学院を卒業、しかもスマートでハンサムな好青年、という、頭脳も育ちも人柄も何もかも申し分ないような人もいた(実際、ほんの少し年上というだけの理由で、私のような者に対しても彼の接し方はとても丁寧なものであった。本人の持って生まれた資質がすでにそうだったのだろうが、加えてご両親のしつけもよほど良かったのだろう、およそ慇懃というような態度とは無縁のとても心のこもった丁寧さだった)。
この人を含め、司会者の何人かは、日本海沿岸にあるその企業の本社内に設けられた国際会議場で、サイマル・インターナショナルから派遣された同時通訳者を介さずに、ネイティヴのような英語でリチャード・ロジャーズと対話し合った。
20年あまり前、日本はバブル経済の真っ只中にあり、おそらくどの企業も出すぎた利益をもてあましていた。税金対策から、それらの利益がメセナという美名のもとにいろんなところにばらまかれていた。
あるサッシ・メーカーが、そんな事情から、明らかに将来への投資という思惑もたっぷりと込めて、まだそれほど社会的な地位というものを確立していない年齢層の建築家たちにターゲットを絞り、何年か、大盤振る舞いをしてくれたことがある。私もそのおこぼれに与ったクチなのに、なんだか印象悪く書いてしまったような気もする(もちろんこのメーカーに限った話ではないが、それにしてもメセナというあのコトバ、というよりあのウルワシイ精神、いったいどこに消え失せてしまったのか。消え失せただけではない。逆に単なるおためごかしにすぎなかったあの濫費を、いま、多くの企業が最も容易なところから取り戻そうと恥も外聞もなく必死になっている)。
発言権を持つ者100名、オブザーバー400名の計500名分、それぞれの住む都市から現地までの飛行機もしくはグリーン車による往復の交通費と2泊3日の宿泊、食事の費用、すべてをその会社が賄ってくれた。





この映画のことを語る人はほぼ例外なくこのシーンについての印象から始める。(※2)



リチャード・ロジャーズは、世界中の保険会社の総元締めたるロイズ保険市場の本社ビル(ロンドン)の設計で、当時、建築界の花形になっていた。その後関西空港を設計することになるイタリアのレンツォ・ピアノ(Renzo Piano)と組んで、すでにパリにポンピドゥー・センターを設計していたことでも十分に有名になっていた。エルネスト・ロジェルス(一般的にはエルネスト・ロジャースと表記されていた。だがイタリアにはロジャースという名はないはずで、Ernesto Nathan Rogersというそのフルネームからも、本来はイギリス系だったのだろう)というイタリアで活躍した有名建築家で、かつ世界で最も有名な建築雑誌のひとつ、「カサベラ(Casabella)」誌の編集長でもあった人物の、その甥であった。





千本松大橋(通称、めがね橋)東詰め。上から見下ろせば、右目のレンズに相当する。
2回転して地上数十メートルの高さにまで歩道を押し上がっていかなければならないので、この輪の中に無数の自転車が駐められている(のだと思う)。ここで駐輪し、無料の渡し舟に乗って人々は木津川を渡り、対岸の工場群に向かうのだろう。





今日のYoutube
Ridley Scott   「Black Rain」


※1 リチャード・ロジャース(Richard Rogers、1902〜1979、日本ではずっとズではなくスと発音されたり表記されたりしてきた)とオスカー・ハマースタイン・ジュニア(Oscar Hammerstein II、1895〜1960)は、前者が作曲、後者が脚本と作詞を担当して、アメリカの有名なミュージカルを片っ端から手がけてきた。代表作は『サウンド・オブ・ミュージック』や『王様と私』、『南太平洋』など
※2 何回に分かれるか未定だが、このタイトルのエントリが続く限り、上下に黒いボーダーの付いた横長の写真はすべて映画『Black Rain』(Ridley Scott監督、パラマウント ジャパン株式会社)のDVDからキャプチャーしたものを使用。