終わらない正午

先々週に摘み取った紫蘇の葉で漬け込んでおいた梅と紫蘇を、今日は土用干しするため、また子供たちとボランティアの労務者たちが集まった。子供たちが20名ほど、ボランティア、関係者を含めて大人が15名ほど。
紫蘇を絞り、梅を取り分ける人(これは大人)、それらをパレットに広げる人(子供も大人も)、パレットを洗う人(子供と大人の協同)、パレットを並べる台(ビールケース)を洗う人(子供たち)、作業小屋から台車でパレットをビニールハウスに運ぶ人(なぜか女の子ばかり)、パレットを台の上に並べる人(園長さんひとり)、写真班(犯、ひとり)。いつの間にか自然と役割分担が決まった。





作業開始。左の帽子をかぶったずんぐりした方が保育園の園長さん。ではもうなくて、定年で理事長さんになられたらしいが、みんなにとってはまだ園長さん。岡山の病院のチカモリ君と同じく、イヤな顔や不機嫌な顔をしているのを見たことがない。子供たちが悪戯や危険なことをしても、いつも実に丁寧に言い聞かせている。本当に頭が下がる。



無農薬栽培の紫蘇。あまりの美しさに何度もシャッターを切ったが、うまく撮れなかった。



紫蘇を広げて並べる子供たちとお爺さん。この方は保育園の関係者。



パレットを洗う男の子と青年。青年は保育園のバスの運転手。男の子はこれは自分だけに与えられた責務とばかり、黙々と作業をしていた。



驚くほど立派な梅。市販すればすごい高値で売れそう。日に干すと、みるみるうちに黄色味がかったピンクが濃くなっていく。全然知らなかった。



背中ぐっしょりの人は、先々週、有り金全部(6万円)盗まれて、今夜からどこで寝ようかと困っていたお爺さん。ちゃんと生き延びていた。吉本新喜劇で竜爺(たつじい)と呼ばれている人によく似ている。同じように飄々としている。



パレットをのせる台を洗う子供たち。水遊び感覚もあるのだろうが、やはり黙々と作業をこなしていた。



ビニールハウスの中に並べられた紫蘇と梅。先に並べられた梅は早くも赤くなりかかっている。



午前中で梅の作業はすべて終わった。子供たちが呆れるほど熱心に作業したからだ。
農園主の奥さんが、ご自分の出身地の新潟で名物だった拳骨おにぎりを用意して下さった。中身は去年の梅干し。ほかにトンカツ、野菜サラダ、キュウリとワカメの酢の物



釜ヶ崎で炊き出しをするため、この農園で援農を始められた故金井愛明牧師。もちろん農園主の理解と協力なしにはあり得なかったことだ。みんなが食事をしているこの大きな建物も、金井牧師の意を受けて、この農園主が自費で建てた。2階には宿泊室も6室あり、いろんな用途に使われている。牧師は、昨年、8度の脳梗塞のあと亡くなられた。部屋の一角で見守っておられる。



午後は炎天下で畑の草むしり。尋常ではない日射し、暑さ。たまにそよ風。



釜ヶ崎の人気者、バンちゃん。いつか、いこい食堂(炊き出しの家)の鏡に向かって帽子の角度を整えながら、オレって男前やなぁ、と初対面の私に向かって言った。いつ見てもこの格好のダンディズム。足には雪駄。シャツの胸ポケットにドクロのマーク入り。今度いつか、オサレですね、といってやろう。高倉健菅原文太と一緒に映画に出たことが自慢。



今日の差し入れは、作物用冷蔵庫でキンキンに冷やしたスイカ。落として3秒以内やったらセーフやてお父さんゆうてたで、と、草の上に落ちたスイカを拾いながらいう男の子。
自分が今、この男の子と同じような年頃になって、ここで同じことをしていると想像してみる。その経験を、数十年後の私が回想する。世にもまばゆい、至福の記憶。



ひとり作業を続けるカワノさん。カワノさんも元々は釜ヶ崎の日雇い労務者だった。援農に参加するうち、農園主に気に入られた。空いていた家に住み込んで、毎日、農作業を手伝い、月に8万円ほどの小遣いを貰っているという。カワノさんは毎日、手作りの弁当を持って野良に出る。夕飯のビールが最高の生き甲斐だという。第2、第3のカワノさんが、ここだけでなく、日本全国いろんなところに現れたらいいのにといつもつくづく思う。



田を渡る風。永遠の正午。


帰り道、みんなでスーパー銭湯に入った。園長さんが、炊き出し担当の女性牧師のメカタさんにさり気なくお金を渡していた。入浴料はおろか、後で戻ってくる下足入れの百円硬貨も持たない人がいるかもしれないことを気遣ってのことだった。
文句なしに今年一番の快適な日だった(写真ばっかり撮ってたくせに)。



今日のYouTube
Sarah Vaughan 「Summertime」