地図にない街

ディープサウスでも、ある意味、最もディープな場所。
というより、おそらく日本で最もディープな場所といってもいいのかもしれない。
光の強さ、この暑さから、今日はここしかないと出掛け、写真を何枚も撮った。おおむねのところを調べようと思って後からネットをいくつか渡り歩いた。カメラを持って入るだけで危険な場所だとの警告がいくつもあった。
店構えを正面から撮影でもしない限り問題はないだろうと考え、30分ほど自転車で回遊し、気に入ったアングルがあれば肩からぶら下げたカメラを構え、シャッターを押していた。通りかかる車や人もなくはなかったが、誰ひとり、カメラを構える私に注目する者もなかった。
「オニイサン、チョット」と最初に手招きと共に呼びかけられた店構えの前で、カメラを指さし、写真撮ってもええ?と尋ねてみた。
あかんよう、どこもやよう。
年配の女性が微笑みながら優しい声で答えてくれた。横に、美しく化粧し、美しく着飾った女性が座って微笑んでいた。真昼なのに、両脇にピンクや紫の蛍光灯が点灯されていた。

今は西成区山王と表示され、地図からはその気配が完全に消し去られた街。


30年ほど前、初めてここに入り込んだ時とまったく変わらない佇まい、静けさ、整然と並ぶ看板、街路灯。地図からだけでなく、時代の移り変わりからも取り残された街。いや、自ら取り残されることを選んだ街。



万物創造神で、比類ない好色神でもあったパン(牧神)が、日課としていた午睡。「まばゆきばかりの正午の白熱の夢幻的な寂寥」(エルヴィン・ローデ)は、その午睡を妨げることのないよう、万物もまた共に眠りに入るためであるという神話。もしそれを邪魔するものがあれば、パンの怒りが荒れ狂う。



パニックという言葉の語源ともなったこの逸話の気配が、地図からも時代からも消し去られたこの街を、ひっそり閑と覆い尽くしている。
「イチマンエン、イチマンエンでエエンヤデェ」そんな声さえも、閑かさの中から閑かさの中へと消え去っていく。




アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの場合、それはバルセロナだった。『余白の街』。主人公が徘徊した遊女の界隈。
そういえば、この街もバルセロナも、一種の醜怪さを売り物にする塔がすぐそばに聳え立つ。







「あの人は風の塔に駆けつけました。螺旋階段を上がり、上から身を投げました。即死でした。」
召使いの女性から旅先の彼に届いた手紙の文言が、何度も繰り返される。妻の自死の直前、水死していた幼い息子。






飛田百番。この街でただ一軒、公然と写真撮影が許可されている店。2000年に登録文化財に指定された。(渡辺豊和設計事務所開設記念の会はいつもここで行われる。中に入る度にどぎまぎする。)




奥の場違いに明るい色合いの建物は保育園。この並びを見て、ある定型的な物語をたちまち想起せずにはいられない。毎朝ここに子供を託し、夜間に引き取りに来る女性。昼間専用ホステスさん募集という張り紙もあった。



あかんことてどんなことや。ほんまのこと教えて欲しい。



百度石。
あかんことして堪忍やで。
父母を思い、兄弟姉妹を思い、子供を思う。




梁石白の『血と骨』では、この街は、切れば血の吹き出るような生々しい同時代性をもって描かれていた。まさにあの時代のこの都市を、その足許で支え、歩み、牽引し、共に駆け抜けてきた。




釜ヶ崎キリスト教伝道と労務者への日々の炊き出しに生涯を捧げた故金井愛明牧師が、ある出版社のインタビューを受けた後、今から飛田に見学に行くつもりだと漏らしたその女性編集者にいい放った言葉。
自分の命を削りながら生きている人たちを見学に行くとはええ度胸してるな。




今日のYouTube
クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy) 「牧神の午後への前奏曲