徒歩5分圏


この場所に移ってきて数年になるが、今日初めてこんな寺があったことに気がついた。カメラを手にするとこんなにもものの見方(見え方)が違ってしまうのかと自分でもビックリした。



この路地も上に同じ。なかなかええ感じ。




黄檗宗慈雲山瑞龍寺 通称鉄眼(てつげん)寺
これもこんなアングルがあったことに初めて気がついた。




前を通りかかると大抵本人が玄関前に座っている。グレーのスウェットの方がたぶんそう。



この界隈ではウソのように素朴な造りのラブホテルだが、その名が許せない。世界には、特にイタリアに、憤死する人もいるかもしれない。
ヴィラ・ジュリア。
ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラという大建築家がローマに設計したルネッサンス後期の大傑作。その平面図を見ただけでとろけそうになるぐらい、建築家ならみんな大好きな建築。
冒涜の100乗。
ところが。
インターネットで検索すると、この名のラブホテルの情報が山のように。渋谷道玄坂というオサレな街(と、勝手に思う。東京のことはあまり知らない)にも。チェーン店なのか?
余談だが、先日、SIVAさんがnagonaguさんのところでこのオサレという絶好の言葉を与えてくれた。ある種の趣味をこれほど見事に突っつく言葉をこれまで私は持っていなかった。
60年代、アメリカのゲイの人たちのコミュニティを中心に、言葉になりにくいある審美趣味を表す用語として、キャンプ(camp)という言葉が大流行した。ポップ(pop)やオップ(op、視覚的にチラチラするような絵画)が流行っていたので、それに語呂を合わせたコトバであったという説もある。今は亡きスーザン・ソンタグが世界的な名声を獲得するきっかけになったのが、そのあたりの事情を詳述した『キャンプについてのノート』だった。私が記憶している限りでは、歌手のベット・ミドラーや日本のSF、怪獣映画、特に『ラドン』や『地球防衛軍』がキャンプの代表的な例として挙げられていた。単純にいえば、アンビヴァレント、つまり大好きでもあり大嫌いでもあるという、複雑、微妙な心理の襞に隠されていた趣味のこと。誤解を恐れずにいえば、コワイモノミタサというような感覚に近い。
オサレは私にとってキャンプに相当するようなコトバになった。



これはオサレとはまったく範疇の異なるシロモノだ。妙に気取ったりスカしたりしたデザインのことを、昔から私は、おデザインとかデジャインとかいって揶揄してきたものだが、これはそれとも違う。オサレには、そのおデザインやデジャインに、強いスノビズムポピュリズムというものが加わっている。だがそうしたものにはどこか本人も気づかない無邪気なところが往々にして浮き出ているものだが、もちろんここにも無邪気というものは避けがたく露出されてはいるが、何かもっと確信犯的に邪悪なものが圧倒的にまさっている。(いうまでもないが、これは新手の結婚式場)