『アラバマ・ソング』に始まる不吉なアソシエーション(連想)

ブレヒトの詩の訳で、訳(わけ)としていたところを、<やく>と読まれがちだと判断し、理由という言葉に変えました。その他、少しの訂正と、リンクを沢山、そして注を一つ追加しました。(5月3日、23時40分)

Nagonaguさんの日記で、クルト・ヴァイル(※1)とベルトルト・ブレヒトによる『アラバマ・ソング』という曲を知った。
引用されているYoutubeの動画のタイトルが『Alabama Song - Weill & Brecht』となっている。どちらもせわしなく煙草を吸いながら、歌っているのがおそらくクルト・ヴァイル、だからピアノを弾いているのがベルトルト・ブレヒト、ということになるのだろう、と思って聴いていた。だが歌っているのがヴァイルであるというのはその通りだとしても、ブレヒトがあんなに見事なピアノ弾きだったのだろうか。映像もモノクロであるとはいえ、この二人が自作自演しているにしては鮮明にすぎると思ってよく調べてみると、2005年、リオ・デ・ジャネイロで行われたServio Tulio (singer)とGlauco Baptista (piano)による生のセッション映像だった。
ついでにこの曲をカヴァーしている他の人たちのも聴いてみた。
デヴィッド・ボウイ

ジム・モリソン

マリリン・マンソン

やはり尋常ならざるひとたちばかりであった。みなこの異常な難曲を見事に歌いこなし、しかもみんなこの曲をこよなく愛しているということがすぐにわかるような歌いっぷりであった。
まったく意表を突くメロディー展開、転調の繰り返しに加えて♯や♭だらけ。その余りにへんてこ、難儀、だが蠱惑的でもあるメロディは、また、両大戦の狭間に暗い華を開かせたベルリンの退廃的、享楽的文化の香りをもとても色濃く漂わせていた。むろんヴァイルのメロディだけでなく、歴史的にはこちらの方がずっとビッグ・ネームのブレヒトの詩も、とても退廃的、享楽的、蠱惑的だ。リリアーナ・カヴァーニの『愛の嵐』という映画を思い出した。
「愛の嵐」



アラバマ・ソング

Well, show me the way, To the next whiskey bar
(さあ、次のウィスキー・バーに連れてってくれよ)
Oh, don't ask why, Oh, don't ask why
(理由なんてどうでもいいから、いいからさ)
Show me the way, To the next whiskey bar
(早く別のウィスキー・バーに連れてくれよ)
Oh, don't ask why, Oh, don't ask why
(理由なんてどうでもいいから、いいからさ)
For if we don't find, The next whiskey bar
(次のウィスキー・バーが見つからなけりゃ)
I tell you we must die, I tell you we must die
(俺たちは死ぬんだ、死んじゃうんだよ)
I tell you, I tell you, I tell you we must die
(ほんとうだ、ほんとに死んじゃうんだよ)
Oh, moon of Alabama, We now must say goodbye
(ああ、アラバマの月、もう行かなけりゃ)
We've lost our good old mama
(やさしかった母さんが死んじゃったんだ)
And must have whiskey, oh, you know why
(だからウィスキーを飲まなきゃいられないんだ、そうなんだ)


Well, show me the way, To the next little girl
(さあ、次の娘のところに連れてってくれよ)
Oh, don't ask why, Oh, don't ask why
(理由なんてどうでもいいから、いいからさ)
Show me the way, To the next little girl
(早く別の娘のところに連れてってくれよ)
Oh, don't ask why, Oh, don't ask why
(理由なんてどうでもいいから、いいからさ)
For if we don't find, The next little girl
(次の娘が見つからなけりゃ)
I tell you we must die, I tell you we must die
(俺たちは死ぬんだ、死んじゃうんだよ)
I tell you, I tell you, I tell you we must die
(ほんとなんだ、ほんとに死んじゃうんだよ)
Oh, moon of Alabama
(ああ、アラバマの月)
We now must say goodbye
(もう行かなくちゃ)
We've lost our good old mama
(やさしかった母さんが死んじゃったんだ)
And must have whiskey, oh, you know why
(だからウィスキーを飲まずにはいられないんだ、分かったかい)


両大戦に挟まれたこの時代、ヨーロッパでは建築の世界でも綺羅星のごとき傑作が陸続と出現するという、ある意味とても異常な時期であった。そういえば『愛の嵐』の一シーンがアドルフ・ロースの設計したアメリカン・バー(1907)で撮影されていた(実際、このバーで私はウィスキーを飲んだことがある)。『アラバマ・ソング』を含むオペラ『Mahagonny』(1927)がブレヒトとヴァイルによって作られたその前年、ロースはパリのモンマルトルにトリスタン・ツァラの家を設計していた。だが今回は建築の話ではない。



忘れもしない中学3年生だった初冬のある日曜日、朝から雨が降り続くなか、私は駅前の散髪屋に出かけた。順番を待つあいだ、ハサミを使いながら客に話しかける主人の声が私の耳にも聞こえてきた。
以前、パリで『暗い日曜日』というシャンソンが流行って、そのレコードをかけながら自殺した人が沢山出たそうですよ。
そのときの店内の情景と共に、ありありと想い浮かんだ会話の内容は、その後の私の心象に深く刻み込まれることになった。
暗い板張りの室内で、おもむろにレコードに針を落とし、死に向かおうとする人物。
大学生になって初めて、ダミアという名のまさにだみ声のその歌を聴くことになった(※2)。やはり聞きしに勝る曲だった。いかにも沈鬱で不吉な気配を漂わせるそのメロディや、ダミアの退廃的な歌声もさることながら、まるで骸骨の一団が、ムンクの『叫び』のようなポーズで身をよじらせているかのごときバック・コーラスが、ひどく印象的だった。




数年前、近くのビデオ・レンタル店で『暗い日曜日』というタイトルが目にとまった。ハンガリー映画(ドイツとの合作)であった。ナチスがうごめき始めた頃のブダペストを舞台にした、実話に基づいた映画であった。フランスのシャンソンとばかり思っていた『暗い日曜日』は、Rezsõ Seressというハンガリー人の作詞作曲(映画の中ではアンドラーシュという名)によるものであった。ストーリーは、第二次大戦前夜の不穏で退廃的な世情を縦軸に、ブダペストでナイトクラブを営む男性とその恋人、そしてアンドラーシュがそこに絡む奇妙な三角関係を描いたものであった。
ナチスも出入りするナイトクラブの雇われピアニストになったアンドラーシュが、初めて自作の曲を披露するシーンが印象的だった。まわりにいたひとたちは、耳慣れないメロディに突然凍り付いたように魅入られてしまう。たちまちこの曲は一世を風靡し、人々の心を捉え、だが多くの自殺を誘発することでも名を上げるようになる。アンドラーシュ自身の最期も自死であった。



高校受験を間近に控えたその3ヶ月後、私はこんな経験をした。
急いで逃げようとして振り向きざま、保健の先生が何やらぼんやりと私に話しかけていた。私はそれにただはいはいと応えていた。
休憩時間、私たちは校庭でドッジ・ボールをしていた。すぐそばで別のグループも同じことをしていた。当てられそうになって私が向きを変えた瞬間、ずんぐりとした男子生徒が、私と同じように振り向きざまこちらに向かってきていた。彼のいがぐり頭が私の頬に命中した。私は脳震盪を起こしていた。
おそらく数分は経っていたのだろう。だが私が振り向いた瞬間と、保健の先生が私に語りかけていたあいだに時間はなかった。脳震盪による意識不明は私から時間を奪い去っていた。その間、私は死の時の中にあった。

もっと幼い頃から私は毎晩とめどなく夢を見る子供であった。夢の中で繰り広げられる出来事は、夢の中にある限り、何の疑いもなくリアルな出来事そのものであった。だが朝目覚めてはじめて、それが日常のものではなかったと気付く。毎日がこの繰り返しであった(そして今もそうである)。だから、現在のこの日常も、いつか目覚めると、それはかりそめの生の中の出来事であったと気付くことになるのかもしれない、そしてそれが死というものなのだろうと、幼心に私は考えていた。この考えは脳震盪による意識不明を経験して一層強くなっていった。

実はもう一度、私は脳震盪を起こしたことがある。親しくなっていた英国人が滞日を終えて離日する日、空港まで見送りに行こうとして自動車事故を起こしたときだった。空港に降りるランプの側壁に私は衝突した。ランプが急カーブになっていてハンドルを切り損ね、スローモーションのように側壁が目の前に迫ってきた瞬間、ランプを塞いでいた私の車を後続の人たちが持ち上げて移動させようとしていた。だがもうこの頃は、中学生の頃のようなことは考えなくなっていた。

その数年後、再来日した英国人は、不治の病が露見し始めたことを絶望し、とあるビルの屋上から身を投げた。




※1 ヴァイルよりもワイルという読みの方が通りがいいし、私もずっとその名で馴染んできたが、ブレヒトがドイツ語読みなのでそれに合わせた。何よりこの歌を教えて下さったnagonaguさんもヴァイルと表記されている。
※2 だみ声という言葉はダミアの声から生まれたという説もある。


今日のYoutube
Damia    「Sombre Dimanche (Gloomy Sunday) (1936)」




だがこちらの方がもっとスゴイ。
美輪明宏   「暗い日曜日

数年前、パリに、この美輪明宏ヴァージョンをノートパソコンに入れて持って行き、現地で聴くとどういう気分になるのだろうと試してみたことがある。どうということはなかった。当たり前だ。