悦楽の日々

ホモ・サピエンス(Homo sapiens)とは、知的活動をする存在としてヒトを定義しようとする言葉だ。ヒトを生物学的に定義する場合にもこの言葉を用いる。ホモ・ファーベル(Home faber)は道具を使ったりモノを作ったりする存在としてヒトを定義する。この定義はアンリ・ベルグソンによる。他にも、ホモ・ロクェンス(Homo loquens)は言葉を操る存在、ホモ・ソシアリス(Homo socialis)は社会的活動をする存在、ホモ・エステティクス(Homo aestheticus)は美を感じる存在、ホモ・レリギオスス(Homo religiosus)は宗教を信じる存在、ホモ・ルーデンス(Homo ludens)は遊ぶ存在、ホモ・コムニカンス(Homo communicans)は交易をする存在。ヒトを定義しようとする概念は他にもいくつも考え出されている。
そういえば故黒川紀章がまだ30代だった頃、ヒトを移動する存在として彼が定義したホモ・モーベンス(Homo movens?)というのもあった。このホモ・モーベンス論を振りかざし、メタボリズム(※1)を率先して実践していた頃、彼は本当にキザでいやみったらしく、その上凄くカッコよかった。造形にも理論の実践にもひときわの冴えがあった。あの頃の黒川は本当に世界に通用する建築家であった。ところが共生の思想などといい出した頃から途端につまらない凡庸な建築家になってしまった。これは黒川に限ったことではなく、日本の建築家のほとんどは、建築家としてのキャリアの最初期に最も魅力的な作品を作ってしまう。
話が横にそれてしまったが、ホモ・サピエンスとホモ・ファーベルがヒトを定義するに最も世に通じた概念であるが、オランダの碩学ヨハン・ホイジンハ(※2)によって定義されたホモ・ルーデンスも相当に人口に膾炙しているといっていいだろう。
とはいえ、ヒト以外の生物が知的活動をしていないとも限らないし、巣をモノとして捉えるのならほとんどの生物もモノを作る。動物が遊びをすることは間違いのないところだろうし、交易をしたり、あるいは宗教を持つ生物だっていないとも限らない。人間と他の生物との境界はそれほど截然と区画されている訳ではない。
ところで、自分にとって最も適性があるのはどの定義かということは、当然人それぞれによって異なっているだろう。作家や哲学者などはやはりホモ・サピエンス的傾向の強い人が多いのだろうし、アナウンサーや落語家、あるいは再び作家や詩人ならホモ・ロクェンス、スポーツや賭け事に熱中する傾向の強い人はホモ・ルーデンス、商売や事業の才覚にひいでた人はホモ・コムニカンス、牧師や世襲によってでない僧侶などはホモ・レリギオスス、これも世襲によってでない政治家ならホモ・ソシアリス、といったところだろう。
私はといえば、もう断然ホモ・ファーベルだ。一昨年のサンティアーゴ紀行のブログでも書いたことだが、ドライバーやラジオ・ペンチ、ニッパーなどを使わない日の方が少ないのではないかというような日々を私は送っている。小型のものであるとはいえそんなものまで携行した人間は、おそらく何百万、何千万にものぼるであろうこれまでの巡礼者の中で、果たして私以外にいるだろうか。そして実際、それらは随所で役に立った。ピレネー北麓にあるイザンベールという方のお宅に11日間滞在し、随分とお世話になったのだが、そのお宅を発つ前夜、せめてものお礼代わりにと、すぐに詰まってしまっていたシャワー室の排水口を修理してあげた。どこかのホテルに忘れてしまったコンセントのアダプタを、街の電気屋で買ってきた部品で即席に作り、また殻付きの牡蠣やウニを市場で買ってホテルで食べたときなども、その道具たちはなくてはならないものだった。
さて。ここ2週間ほど、私は悦楽の日々を過ごしていた。諸般の事情によって事務所を引っ越すことになったからだ。現在のと同じように今度のも中古のマンションの一室だが、移動する前に軽いリモデルとリファービッシュを行った。これはモリカワさんたちに頼んだ。ただ、照明器具は自分で作ってみようと思った。だがそう思いはしたものの、4月14日の日記にも書いたように、その頃の私の精神状態は最悪であった。あれこれアイデアは浮かび、どんな材料を使おうかと考えはしても、なかなか行動には移せなかった。
それでも漸く活動を再開すると、徐々に加速がついてきた。どんな良薬よりもドライバーやペンチを握る手の快楽が私の心を癒し始めた。次第に調子は上がり、もっといいものができるわいと作っては作り直し、日本橋電気屋街やホームセンターに日参する日が続いた。一度ならず日に二度も三度も出かける日もあった。こうした行動は、私自身にとって、おそらくユング派の分析心理学でいうところの箱庭療法のような役割を知らずのうちに果たしていたのだろうと思う。初期の頃のぐずぐず、いやいやがウソのように消え果てていた。そして今日、やっとその作業が終わった。
私が日ごと徘徊しているブロガーの界隈では、食い意地テロなどと称して手料理をひけらかすことがはやっているようだ(たとえばここここここなど)。その方面でも私はムムムとやる気満々ではあるのだが、今回の試みで私は前人未踏の領野をひとりで開拓し仰せた。幸いにも今度の部屋には2畳ほどのウォークイン・クローゼットがある。そこにいろんな工具を設置して、今後も私はこの孤独の領野を疾駆する!







まずはメインの照明。有名デザイナーの家具や照明器具を好んで使いたがる建築家も多いと思うが、私は可能な限り避けたい方だ。裸の蛍光灯や白熱灯は、その機能、形態が彫琢され尽くしてきただけあって、それ自体で十分に美しいと私は思う。こんなものがふとひらめき、何度かの試行錯誤を経てほぼ思い通りのものができ上がった。





40Wのサークラインを水平に、それより一回り小振りの32Wのものをその内側に垂直に吊した。ちょっとした土星のイメージ。水平な方のランプは、極小のヒートンを天井面に正三角形の配置でねじ込み、0.2ミリのステンレス製のより線で吊っている。ランプを支持している金具は、頃合いの大きさのS字型フックを半分に切って曲線を調整したもの。インバータ式安定器は天井裏に隠した。この作業が非常に難航した。建築の工事が存外なほど丁寧になされていて、天井に設けられた既設の照明コンセントを外すと、そこに頑丈な金属製のボックスが被さっていた。新設するカバープレートの大きさをはみ出さずにそれを外すのが実に大変だった。





最初は既製品の蛍光灯用コネクタを使用していたが、コードが太くて目立ち、しかも一箇所で吊しているだけの内側の器具はそのコードの剛性に負けて傾いてしまっていた。そこで細くて柔らかいコードに取り替え、コネクタも極小の結線用のもので代用した。
この照明が取り付けられた部屋は宿泊用の寝室として使うため、リモコン付きの最も安い既製品の器具(5千円強)を購入し、その必要な部分だけを利用した。リモコンの受信機も天井裏に隠した。天井に直径1センチほどの穴をあけ、そこに受信部を強力両面テープで固定した。カバー・プレートの手前の小さな円形がその穴。穴の縁は分厚い布や皮革用のハトメをはめ込んだ。ハトメは驚くほど安かった。1個たぶん10円ぐらい。これで部屋のどこからでもリモコンの信号に反応するようになった。





次は壁用のブラケット。西洋の蝋燭灯のイメージ。これは長さ41センチ、32Wの直線状のものを2灯使用。もうひとつ、玄関ホール用に1灯のものも作った(取付けはまだ)。





部材はすべてホームセンターで買ってきたもの。アルミパイプ、手摺りやハンガー・パイプ用のエルボ、パイプ支持金物。手作りならではのソボクなアジワイが滲み出ている。





ちょとごつごつとした感は否めない。





この器具で一番知恵を絞ったのは、エルボに埋め込んだコネクタに挿しただけの蛍光灯の振れ止め。蛍光灯というのは一方の極から別の極に向かって放電することによって発光する。だからこのランプも2本になっているように見えるが実際は最上部で繋がっている。その連結部分に1.6ミリのステンレス製丸棒で作ったヒートン状のものを絡め、その他端を壁面にねじ込んだヒートンに落とし込む。これで問題は解決した。正面からはほとんど見えない。





これは40Wのサークラインによるフロア・スタンド。20年ほど前に設計した住宅でこの原型を作った。そのときは床に固定したが、今回は可搬式。テーブルの配置などをどうするかまだ決めていないのでやむなく可搬式にしたが、本当は固定式の方がいい。床に固定しただけで一挙に街灯のようなイメージが出てくる。





この器具の文字通りの要(かなめ)。引き出しや収納などの扉に用いられるつまみを利用した。大きな穴はコードを通すためのもの。一番条件に叶ったつまみのメーカーがしばらく前に倒産したらしく、その在庫の置いてあるホームセンターは一箇所しかなかった。失敗したり角度がよくなかったりでたぶん20個ぐらい作った。次々と買い足していくうち、その条件のいいものは私が全部使い果たしてしまった。





ボール盤で穴をあけては爪楊枝を挿して角度の具合を確かめる。結局これを使用することになった。すべて目分量による手作業であったため、要領を掴むまでに随分と遠回りをした。





ランプ支持金物。径2ミリのステンレス製丸鋼を加工。球に挿し込む部分はねじ切りをしてある。最初は念のためと3ミリの丸鋼を使っていたが、2ミリでも十分な強度があった。ならばと1ミリのものを探したが見つからなかった。





径18ミリのムクのアルミ丸棒。長さが10センチあり、この軸に、椅子の脚などに取り付ける円筒状のゴム製クッションの底を切り取って嵌め、それに本体のアルミパイプ(径25ミリ)を差し込む。丸棒に電線を通すため、径7.5ミリの穴をあけてある(出口では中心がかなりずれてしまった)。一般的にこんな長尺の金属の穴あけはオイルをさしながらやるものだが、普通の室内での作業であったため、オイルなしでやった。途中、ドリルが何度も詰まって停止し、思わずアルミ棒に触っては指先をヤケドした。
2枚の円盤は厚さ4ミリ、径22センチのアルミ板を知り合いの鉄工所に頼んでカットしてもらった。加工費共で1枚1700円。軸となる丸棒にあけた穴の縁(巾5ミリ強)に3箇所、3ミリの穴をあけ、上のアルミ板の裏側からネジで緊結してある。びくともしない。上の円盤に3箇所、裏側に深さ3ミリの雌ねじを切り、長さ4センチのスペーサーを挟んで下の円盤裏からビスで緊結。2枚の円盤の間に安定器とスイッチ(つま先で押す)を隠してある。





不思議なことを発見した。左の壁に斜めに走る黒っぽい線は、反対側の円弧が発する光によってできたランプ自体の影。自分自身の影を落とす照明器具。





かかった費用は、失敗したりやり直したりした分(次からはもうそんなに失敗することはないだろう)とランプ代を除くと、一番上のものが4300円ほど。そのうちの4200円がインバータ式安定器2個の値段だった。次のブラケットも安定器2個を含んで5000円ほど。3番目のフロア・スタンドは、安定器1個を含んでやはり5000円ほど。




※1 メタボリズムとは生物学でいうところの新陳代謝のことで、そのアナロジーを建築に適用させようとした運動のこと。建築にとって不動の基本的構造(文字通りの力学的構造や階段、トイレ等の必須の要素)に、取り替え可能なカプセルをくっつけたり取り外したりすることで時宜に対応させていこうとする建築のシステム。たとえば住宅ならば個室をカプセル化し、家族の増減に合わせてカプセルを増やしたり取り外したりする。建築評論家の川添登が唱導し、60年代における日本の建築界の一大ムーヴメントとなって世界から注目を浴びた。この運動を最も積極的に展開したのが黒川紀章で、大阪万博で二つのパヴィリオンを設計した。

※2 一般的にはホイジンガと表記されることが多い。




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Cannonball Adderley Quintet  「Mercy,mercy,mercy」